飛びぬけた人を見ていると

天気が悪い。

金曜夜に,ノルウェー人の家にお呼ばれしてきた。
Microsoftに買収された某テクノロジー企業の創業メンバーで,株の売却益だけでも相当に相当な感じな人。
奥さんは日本人の綺麗な人でノルウェー語と英語ぺらぺら。
夕飯は和牛出てきた。
自分の5,6年後と同じ年。

いったい何がどうなってこうなったのか。
どういう経歴なのか聞いてたら,やっぱちょっと頭おかしい(ほめ言葉)。

ベンチャーは,面白そうだからやった。という理由しかなかった。たぶん,本当にそういう理由しかなったんだろと思う。ピュアに。

それどころか,自分で船を買って,自分で太陽光と風力の発電システムをくみ上げて,世界一周旅行してたら,ホンジュラスあたりでハリケーンにあってプロペラを破損しそうになって海に飛び込んで死にそうになったらしい。モルディブに住みながら自分で製品開発をして売ってたとか。今度は造船をやりたいらしい。

作り方は自分で勉強したのか,面倒だったり大変じゃなかったのか,と聞くと,「面倒だとか大変だとか思うのは,やりはじめると忘れる」とのこと。

そういう話を聞いたり,考え方を観察していたりすると,飛びぬけた人に共通するのは,躊躇が無いことに尽きる。

人間,普通は躊躇する。
自分も,サラリーマンやめて自分で会社作るってのも,躊躇してきたからここまで遅くなった。

そういう時は人間,自分に言い訳をして都合のよい理由を探して正当化する。景気が悪いから起業はしない,とか。よく聞くけど,景気に左右されるのは大企業で,一個人が食う経済規模なんて,景気なんて関係ない。都合のいい言い訳は,自分を一時的に騙せても,本当に自分がやりたいことは,自分自身で気がつかないけれど,心の奥底でいつまでもくすぶる。

心得その1 「面倒がるな,躊躇するな,いずれ行く道,覚悟を決めろ。」

いろんな縁があったからこそ

社会人になってからの自分振り返ると、
やっぱ超絶色んな人にお世話になってるなぁと実感してる・・・

大学の先生とは、毎年毎年ずっと研究室のOB合宿に行き続けてコミュニケーションとって、今も本当にお世話になっている。
これからは、学生時代の友達とも色々と仕事の関係でも縁が出てくる予感もする。嫁も結局は学生時代の縁だったりするし。
前職の職場は、プロジェクトの先輩といろいろ活動をつづけたり。
ものづくりの活動で出会った人とか、取材で出会った人とか。
特に今の職場は変態的な凄い人揃いで、同僚とか先輩とか業務委託の社長さんとかも、これからたぶん色々なトコで活躍する人が多そうで、さらにお世話になりそうな気がする。

そういう縁の源泉を考えると、モノを作りながら「自分はこうやりたい」と訴えてこれたことと、それをするために面倒くさくて細かい勉強をし続けたこと、自分にゃ無理だ無理だと思った数学を高校生の勢いで勉強しなおしたこととか、そういう甲斐があったと思いたい。

それと、気が合う合わないを全く無視して、とにかく感謝の気持ちを忘れずに御礼とお願いに頭を下げまくってきたのはガチ。

大学のときに親友としてた会話が思い出される・・・
「俺達はそもそもゴミ。ゴミが生意気言わせてもらう失礼を、世間様に許してもらう。」とか
「生まれてすみません」とか

世間知らずのプライドばかりだった自分をボコボコにしていただき、ここまで成長させてもらったわけです。
そしてさらにこれから、食わせてもらっていた会社という組織から生意気ながら飛び出し、世の中にボコボコにされにいくことができる。
滝に打たれて成長することができる喜び。
本当に、いろんな人に感謝せずにはいられない。
いつか恩返しをしないと。。。

都心は春一番だそうで、花粉がひどい

激務終了。。。
きびしいなぁ、きびしい!

今日、というか日付が変わったので昨日は気温が20度とかいって春の陽気、4月下旬。そして春一番。
この時期といえば!
そう、俺が中学生のときから発症した、15年モノの花粉症でございます。
特に今日は、大量に花粉を含んだ強風が吹き荒れて、ちょっと外に出たら目と鼻をやられて、充血してかゆくてクシャミが止まらなくなるなど、今年一番の花粉症の症状。思わずマスクとティッシュをコンビニで購入。

これからしばらく、桜が咲く頃までは、辛い日々が始まります。
嫁ともどもがんばります。

ところで、自分はこれまで運命ってのをてんで信じてこなかったクチなのですが(自分の人生は自分で決めるんだよボケ、的な意味で)、30代を控えてか、やっぱり運命ってのは確実にあってそれを辿ってるのかもしれい、とか思うようになってきました。
いやね、考え方の問題だから突き詰めたところで特段においしくもなんともないんだけど、今まで考えていた運命と、いま実感してる運命っつーのは、まったく別物だということに気がついた。
つまり、運命を考えるとき「もうどうにも選択の余地もない、あらかじめきまった一本の道」っつうニュアンスじゃない(そういうニュアンスだと、とたんに運命は否定したくなってくる)。 そうじゃなくて、人生には十分に選択肢があっていろいろチョイスをして色々チャレンジしていくことができることが前提だけども、「あらゆる選択をしたとしても、だいたいこういう人生の幅に収まるよね」っていう話。
例えば、日本人ってことは逃れられない。がんばってピュアなアメリカ人になろうとしてもなれない。この時点で僕は地球の60億分の1億2千万人相当の人生に確率的に収まることになる。

いや、本当に、自分達ってのは巨大なものの一部でしかなくて、まったくもって小さいものなんだなぁ、と。思ったり。

ポチポチ押しまくり

やばい、完全に油断してた、こんな時期に公私ともども色々な変化の波が来てる。
昨日はいろいろ頼まれたり仕事したり会食したりで朝5時すぎに帰宅。。。

3年前に最初の会社を辞めたり結婚したり引越ししたり、人生のスイッチポチポチ押しまくってたけど、最近また押しまくってる。
単純に押してるだけじゃなくて、連打してる感じ。
29歳いよいよ人生の大舵取りだわ。

今年に入って、歯を勢いよく2本抜いちゃう勢いです。
こないだは奥歯の虫歯をがりがり削り取って、つめものしてきた。

銀色の詰め物 or 白色の詰め物

という選択を迫られ、値段の差に圧倒された。
明らかに白なんだけど、3.5万円也。
いっそ自分でパテ買って詰めてやろうかと思うぐらい高い。
聞けば、詰め物の形は、技工士という専門職の人がみっちり作りこんで出来上がるらしい。
ようするに人件費が高いのか。
銀だったら、適当に流し込めば終わるとか、そういう話なのかも。
それにしても高い。

が、歯は一生物である。
いまここで銀を入れれば、次回の人生まで銀のままだ。
20年後の自分に「おい、どうするつもりなんだ、ええ?」と言われながら向き合わなければならない。
そう、一応払えなくはない。
がんばって仕事してるからお金がないわけじゃない。
けど、けど・・・

そこで、20年後の自分に賭けをすることにした。
3.5万円を憂う20年後になっていたら、僕が悪かったと、その時いまの僕に謝ることにする。

ねむい、だるい、だるい、だるい

朝っぱらから出社。夜10時半に帰宅。

疲れてるんだけど、あんまり疲れてること認めたくない自分がいたりするわけで、やる気が起きるとか起きなとか、もうあんまり関係なくて、常にフワフワしてる感じ。
ここ数年、記憶が残らない。というか、思い出せば思い出せるんだけど、無味無臭、記憶に感情がまったく付いてきてない。麺汁ナシで食べるザルうどんみたいな感じだよ。

エネルギー有り余る学生のときの記憶から、ここ4,5年の記憶(の味・風味・感情)がゴソッと欠落してる。
何に対しても、だいたい見切り付けるのが早くなってるし、世間体も大変気にするようになってる。
若かったのもあるけど、昔からそういうのはあんまし好きじゃなかったし、好き勝手やりまくってた方なんで、ああずいぶんと年寄りになったなぁとか考えるわけです。

だいたいね「年寄りになったなー」とか実感してる時点でクソジジーナイズされちゃってるわけですよ。でも、そこがまた人生の神秘だよね。クソジジー批判してたのに、クソジジーになっていく。言い換えれば、これはクソジジーを知ることに他ならないわけです。クソジジーの気持ちがわかるようになるんです。

前にもブログ記事に書いたと思うけど、同じ話を3回ぐらいしちゃうっていう典型的大人症候群、あれもこの年になって、初めて気持ちがわかったわけです。

んーなんだろうな、何かストレス溜まってるな俺。

オライリー「初めてのPython」を衝動買いしてしまった。
なぜpythonなんだ俺。なぜ魅かれるんだ俺。なぜまたそう遠回りをしようと…ぐふっ!!!