2025年、インコ生活

年明けてもう1月は投稿せず2月になってしまいました。早くも花粉が飛び始めたのでザイザル錠を飲んで眠気と戦う生活に突入しております。

いきなりですが、2025年になって早々、インコを飼い始めました。

こやつ、家族でペットショップの鳥コーナーを見に行った時にひとりだけコミカルな面白い動きをしていたので目にとまり、それから1ヶ月の家族検討の末に飼うことになった。3ヶ月のセキセイインコ。若鳥です。

しばらく飼ってて観察してると、鳥って偉大な生き物だなと実感。哺乳類の系統じゃないのに、僕たちと同じような喜びとか好奇心とか怒りとか、感情を持ってる不思議。古くは爬虫類、恐竜の生き残りで、ぜんぜん進化の過程は人間と違うのに、ちゃんと心が通う不思議。知能と感情は偶然で生まれたもんじゃなく、収斂進化の先に必然的に生まれる帰結なんだなと学ばせてもらいました。

熊本出張2回目

本年2回目となる熊本出張。

前回は空いた時間をみて大分までドライブして進撃の日田を見に行ったけど、今回は観光はなし。飛行機の時間まで熊本の市街地を少し散策してきた。

バスターミナルが新しくなった一体化商業施設「サクラマチ クマモト」。

熊本出身の大学時代の友人に「あか牛」を勧められたので、ちょうどサクラマチの中にある「よかよか」というお店で食べてきた。

有名な「あか牛丼」。やわらかくておいしかった。

がっつり牛丼とか食べてるけど、ダイエットはいまのところ意識高いまま継続中。アプリの記録によれば一日平均1,500-1,600kcalぐらいで推移してるので、1ヶ月で2kg減量できるペースのはずなんだけど、体重を測ってみると月初から1kgぐらいしか落ちてないっぽい。データを踏まえると、やっぱり基礎代謝が普通の人よりめちゃくちゃ低い可能性が高い。つまり普通に食べたらすぐオーバーする太りやすい体質。加齢でただでさえ代謝が落ちてるので、食べる量を減らすか筋肉量を増やすか運動量を増やすしか方法がない。意識低くなったらリバウンドとの闘いが待ってるので、なんとか定常状態を見つけ出したいところ。

ダイエット再開

2月から8月ぐらいまで1800-2000kcal/日程に制限して月0.5-1kgぐらいの緩~い減量していたものの、夏以降に気が緩んでほとんどリバってしまった。ほんとは1年ぐらい続けるつもりだったんだけど、どうやら「無理をせずに長くダイエットする」作戦は難しいらしい。やっぱり意識が高い期間は数ヶ月しか持続しない。

ということ今回はちょっとキツめに1600-1800ぐらいで2-3ヶ月集中して3kgぐらい減量することにする。減量したあとのリバウンドが次の課題だけど、とにかく気合入れて絞って、リバウンドとどうやって付き合うかをテーマにしたい。

毎回ダイエットやっててパターンに気が付いたんだけど、カロリー制限はじめてから最初の1週間ぐらい、妙なソワソワ感が出たり気分が沈んで悲観的になる。あと軽い頭痛。おそらく低血糖の症状なんじゃないかと思われる。同時に体にむくみがなくなり一気に1kgぐらい落ちる。そこからが本番。

今回は朝昼BASE BREADで600kcal程度、夕方に糖質制限で600kcal程度、間食と夜食で400kcalで設計する。飢えとの闘いはスルメとグラノーラ一口、飲み物はコーヒー・ダイエットコーク・ノンアルコールビール。

千駄ヶ谷 ホープ軒

ここ3週間、出張・旅行・帰省と毎週のようにイレギュラーな食生活が続いていてダイエットが崩壊しておりますが。。。都内まで行ったついでにいつもの麻布ラーメンに行こうかと思ったんだけど、ふと「麻布ラーメンっぽいラーメン」がほかにも無いか調べたところ、あるレビューで「ホープ軒」がそれに近いという記述を見つけて、行ってみることに。

場所は千駄ヶ谷。外苑で国立競技場のすぐ近く、24時間営業の立ち食いラーメン。周りから浮いている異様な黄色い建物。素ラーメンを頼んだ。

なるほど、背アブラこてこて、ネギが入れ放題、やわらかいチャーシュー、これは確かに麻布ラーメンに似ている。しかしまったく違うのは麺。もちもちの極太で、これは山岡家に近い。食べ応えは十分なのだけど、個人的には麻布ラーメンの麺のほうが好み。そして、何かどうしても不足している感がある。そこで気が付いた、麻布ラーメンのあの「唐辛子モヤシ」がないのである。やっぱり麻布ラーメン最大のアイデンティティはあの唐辛子モヤシだと確信した。ニンニクを少し追加してみたものの、麻布ラーメンを求める自分にはどうしても一味足りなかった。1杯1,000円ということもあり、残念ながらリピートはなさそうな感じ。とにもかくにも、ごちそうさまでした。

天空の城ラピュタのシナリオは2枚重ね

実は、趣味で少しずつ作劇の練習をしている。シナリオライティングとか小説の類。その中で有名作品のシナリオをいろいろ分析したりしてるんだけど、シナリオの観点から有名作品を見ると、ぜんぜん違って見えて面白い。例えば、「天空の城ラピュタのシナリオは途中でマルっと入れ替わってる」という話が面白かった。

映画の序盤で、主人公であるパズーの動機が「死んだ父が見たはずのラピュタを発見したい」と明示される。なので、シナリオの王道だけで言えば「パズーが大ピンチになりつつラピュタにたどり着く物語」になるはずが、実際には映画の中盤でラピュタにたどり着いて目的が達成されてしまう。そこからはシナリオはいつのまにか「シータの物語」になる。シータについても、序盤でゴンドワの谷から怪しい連中に連れ去られた回想シーンがあるので「怪しい連中から逃れてゴンドワに帰る物語」が暗示されているので「がんばれシータ、ムスカの夢を砕いて逃げろ!」とハラハラドキドキ楽しめるようになっている。でも、中盤以降のパズーは物語的な役目を終えているので舞台装置的になっていて、出番といえばシータのサブとして「バルス」を唱える時ぐらい。主人公をクライマックスあたりでフォーカスしないってのが面白い。もしこれがハリウッド映画なら、たぶんシータが一人でムスカと対峙するような展開にはならず、パズーとムスカで殴り合いの勝負になって、最後はキスシーンでエンディング、石の力を発動させてシータとパズーは新生ラピュタ王になるはず。

でも実際にラピュタを見ていて、シナリオのギアチェンジの違和感みたいなのを全然感じない(気にさせない)のは、鬼才宮崎監督のマジックだと思う。とにかくまったく無駄がなくて魅力的なシーンだらけ、アニメーションも世界観も見ていて引き込まれる演出続きで、シナリオが圧倒されてる。なんとなく、ラピュタの「映画」の魅力を100としたとき、小説だと30ぐらい、漫画でも50ぐらいになっちゃうんじゃないかと思う。それだけラピュタはアニメーションで生きている。

特に、パズーがシータを燃える塔の上から救出するところは、宮崎映画の演出の中でも屈指のシーンだと思う。アニメーション・セリフ・音楽まで何の違和感もない一つの塊のようになって観客を引き込む。あれは小説でも漫画でも(たぶん実写でも)達成できない域なんだと思う。