教育者

大人になってから、いわゆるガチガチの教育者という人にこれまで面と向かってコミュニケーションをしたことがなかったのだけど、先日とある事情で、長く教育に携わってこられた重鎮の先生と、学校について深く意見交換する機会があった。そして久しぶりにとても新鮮な気持ちになった。

僕は20年以上も商人・ビジネスの世界で生きてきた。だから、コミュニケーションベースが自然にそっちになっている。カネや地位がほしくて仕方ない欲深い人間を日常的に目にするから、世の中のほとんどの人がそういう人に見えてくる。政治家・役人とよばれる人たちも、どちらかといえば商人の感覚でも理解できる部分がある。票や評判で動く部分が大きいし、集合体としての規律だとか規範だとか歴史や礼儀を重んじる方々なのだけれど、カネと政治で話がまとまるところは商人にも通じる。

それに対して、教育者、教育の世界は、僕にはまったくの異世界に感じた。人間だからもちろん欲も政治もカネもあるのだろうけれど、それより遥かに大きい、理念だとか信念だとか使命感のかたまりのような空気がその世界を動かしているのを感じた。正直なところ、宗教によっぽど近い空気だった。いや、悪い意味ではなくですよ。あまりにも衝撃だったので、Amazonで「学習指導要領」を買ってしまった。ほんとに。

子供の頃、僕は学校がほんとうに嫌いだった。自由が抑圧される場所だったし、先生は敵だった。いまでも学校と聞くと反射的にウッとなる。でも今回いろいろ話をして、子供の頃の自分に「先生は敵じゃねえんだわ、おまえの敵はもっとでっけえんだわ」と言ってあげたくなった。先生も、学習指導要領も、敵でもなんでもないんだわ。

Such – timelapse (feat. kamome sano)

敬愛するトラックメーカー kamome sano先生と、敬愛する女性ボーカルSuch先生のタッグ。破壊力すぎる。

Such先生の透明感のある声をkamome sano先生がこれまたカリカリなグリッチなのに透明感のあるトラックに料理していただいてるんですよ。一体化しております。本当に。このアルバムINNERSTELLARのKARUI Remixのほうは、もう少しkamome sano先生の遊び心もマシマシとなっており、また気持ちいい。

3年半かけて遂にコロナが体に届いた

いらっしゃいませ。本当に長旅だったでしょう。中国武漢から変異を重ねてワクチンをくぐりぬけ、2020年から3年半かけてついにコロナウイルスが僕の体内に入り、発症となりました。

喉に違和感、咳が出始めたと思ったら、すぐに猛烈な寒気と関節痛と筋肉痛、いきなり38℃を超えていて、どうみても細菌感染の感覚じゃねえと思ったので病院予約して陽性を確認。

最高39.4℃まで熱があがったときには、さすがに朦朧としたし、なによりやばかったのは関節痛で、よぼよぼのおじいちゃんみたいな歩き方になってた。

幸いにも、2日で熱は下がって少し咳が出るぐらいでフィニッシュしそうな感じ。

おかげで盆休みの実家帰省は飛んでしまい、自宅待機でひたすらYouTubeを見てる。

そういえば、先日の大気が不安定だった時に、実にいい雲の写真が撮れた。


(追記) 発症後4日経過して、熱は引いて軽い咳と鼻水づまりぐらいになったものの、なんか自律神経の調子がおかしい。いきなり汗かき始めたり、暑くなったり寒くなったり体温の感覚がめちゃくちゃ、少し動くと動悸とフラフラ。これがいわゆるコロナ後遺症ってやつか?? 少し調べたら回復後もホルモンの分泌がおかしくなるケースがあるらしい。すごく疲れやすくなるっていわれるのは、これか。

(追記)発症5日目、熱は完全に引いて咳も鼻水もほとんどないのに、味覚が消えた! コロナで味覚がなくなるって言われてたけど、これか! っていうか毎年花粉症がひどくなったときに味が消えるのと完全に同じ。そして若干副鼻腔炎ぎみで頭も重い。非常に面倒だ。。

(追記)発症から1週間。味覚が少しずつ戻って来た。30%ぐらい? 動悸や平衡感覚の異常もだいぶ回復してきた。普通に仕事ができる。健康って素晴らしい。コロナさようなら!

麻布十番までラーメン食べに深夜ドライブ

久しぶりに時間ができたので、一人でゆっくり深夜ドライブしてきた。夜に都内まで運転したの最後いつだろう。コロナ前な気がするから、4,5年ぶり?

ドライブが目的だから行く宛は特にないんだけど、とりあえず麻布でラーメン食べて帰ってくるという大義名分を打ち立てた。

常磐道からC2外回り, 湾岸線東行き, 11号台場線, レインボーブリッジ, 下道に降りて麻布まで, 麻布ラーメンの麻布十番店で醤油ラーメン1杯。そのあとは日付変わってから、下道で日比谷通りで東京→秋葉原→上野→国道6号をひたすら北上してつくばに帰宅。4,5時間ぼーっと楽しんだ。

麻布ラーメンはあいかわらずの味だった。もやしとネギをぶち込む楽しさは健在。都内で死ぬほどサラリーマンしてた頃の記憶が蘇る。もう15年ぐらい前のことなのに、それほど遠くに感じない。ただ、かつてホームだった芝浦店はなくなったらしい。

久々に夜の都内走ったけど、なんか雰囲気かわった気がした。特に六本木・麻布十分の深夜なんてもっと人でごちゃごちゃしてた記憶あるし、秋葉原は深夜なのにメイドのキャッチがうろうろしてて風俗街っぽい雰囲気あった。

帰りの下道6国もほとんど変わらず。深夜1時を回ると車も減って実にいい雰囲気。墨田、葛飾、松戸、流山、柏、取手と、都心からだんだん郊外に出て行く感覚が、相変わらず気持ちよかった。

ジブリ新作を予約&「風立ちぬ」を久しぶりに見た

新作「君たちはどう生きるか」の公開を前に、予習的な意味で宮崎監督の10年前の作品「風立ちぬ」を久しぶりに見た。

とにかく”美しい”と”気持ち悪い”のギリギリ境界線。生死、特に性の描写。文学としては、高畑勲的だったり村上春樹的な意味で、たいへん質が高いのだとは思うけれど、僕は正直そういうのが得意な人間じゃないので良さはわからない。圧倒的な表現力と知識で描かれた芸術作品であって、大衆に向けたエンタメ作品じゃないことはよくわかる。絵の派手さもそれまでのジブリ作品に比べてたらブレーキを効かせまくっているし、サウンドもモノラルかつ人の声というめちゃくちゃミニマルな構成になっていて、それまでのジブリファンは置いて行かれる作品。レビューが賛否両論なのも、文学かエンタメか、どちらの映像作品として見るかによって、まったく評価が異なるからだと思う。もちろん、僕とかほとんどの人がジブリに求めてるのは分かりやすい大衆エンタメ要素であって、ナウシカ的だったりOn your mark的であったり、セカイ系だったりSFだったりする。

そうやって風立ちぬを久しぶりに見終わったうえでの、今作の「君たちはどう生きるか」について考えたのだけど、やっぱり僕は、宮崎監督には、まことに勝手ながらも、最後の最後にエンタメの神として伝説的に終わって欲しいと思った。もちろん腐るほどエンタメを描いて描いて死ぬほど苦労された人生だろうから、もう二度と描きたくないはずなのは承知の上で。

もし「君たちはどう生きるか」が運よく大衆エンタメに寄せたものだとしても、たぶん、エンタメ表現が極まりまくっている傍らで、脚本には隠し切れない文学的なものが交じり合い、そのちぐはぐでハレツするんじゃないかと思う。というかむしろ、そのハレツを見るところが今作の味わい方なんじゃないかとさえ思う。人生の最後の作品という立場にあってそうなることは、決して誰にも叩けるようなものではないし、誰もが老人になるのだから、異物として忌避するべきでもない。俺だってじじいになったら最後はハレツする自信があるし、みんなだって人生の最後はハレツするんだから。

ネットでも、みんなナウシカ2だったらいいなとか言ってるけど、もうナウシカ原作は、庵野さんも含めて、誰も触らずにそのままにしておいてあげたほうがいいと思う。それだけ、久しぶりに風立ちぬを見たインパクトは大きかった。

やっぱり新作は看取りに行く覚悟でよさそう。本田氏作監で久石譲氏ということで、7/14初日にCS土浦のIMAXを予約した。

風立ちぬで一番好きなシーンは、シベリアのシーン。宮崎監督の強烈な自虐・自白。自分がアニメ作品でやってること。ひたすらに情を捨て美しいものを追う中で、気まぐれに情をかけている自分。風立ちぬの中で一番エグいシーンだと思う。その後に響く本庄の「それは偽善だ」の力強い声、続いてひとごとのような庵野監督の声での「どうしてこの国は貧しいんだろう」。わかりやすい”できた人間”たる本庄と、圧倒的才能と美の追求で動くモンスター的主人公の対比。本庄は主人公に対して才能で一歩及ばないことを認めている。思えば、本庄って高畑勲監督なのかな? あのシーンみてると「おいおいそんなに自傷するなよ、お前も人間だよ、紅の豚じゃねーよ」と言いたくなる。

同時に、そんなに自己愛を見せた後にもかかわらず最後にもうひとつ作るというなら、自意識・自己愛・自分語りの対極として、みんなに娯楽作品を作って死んでくれと切に願う。たとえハレツしていようが関係ない、僕は、それがいちばんカッコイイと思うから。