教育者

大人になってから、いわゆるガチガチの教育者という人にこれまで面と向かってコミュニケーションをしたことがなかったのだけど、先日とある事情で、長く教育に携わってこられた重鎮の先生と、学校について深く意見交換する機会があった。そして久しぶりにとても新鮮な気持ちになった。

僕は20年以上も商人・ビジネスの世界で生きてきた。だから、コミュニケーションベースが自然にそっちになっている。カネや地位がほしくて仕方ない欲深い人間を日常的に目にするから、世の中のほとんどの人がそういう人に見えてくる。政治家・役人とよばれる人たちも、どちらかといえば商人の感覚でも理解できる部分がある。票や評判で動く部分が大きいし、集合体としての規律だとか規範だとか歴史や礼儀を重んじる方々なのだけれど、カネと政治で話がまとまるところは商人にも通じる。

それに対して、教育者、教育の世界は、僕にはまったくの異世界に感じた。人間だからもちろん欲も政治もカネもあるのだろうけれど、それより遥かに大きい、理念だとか信念だとか使命感のかたまりのような空気がその世界を動かしているのを感じた。正直なところ、宗教によっぽど近い空気だった。いや、悪い意味ではなくですよ。あまりにも衝撃だったので、Amazonで「学習指導要領」を買ってしまった。ほんとに。

子供の頃、僕は学校がほんとうに嫌いだった。自由が抑圧される場所だったし、先生は敵だった。いまでも学校と聞くと反射的にウッとなる。でも今回いろいろ話をして、子供の頃の自分に「先生は敵じゃねえんだわ、おまえの敵はもっとでっけえんだわ」と言ってあげたくなった。先生も、学習指導要領も、敵でもなんでもないんだわ。

3年半かけて遂にコロナが体に届いた

いらっしゃいませ。本当に長旅だったでしょう。中国武漢から変異を重ねてワクチンをくぐりぬけ、2020年から3年半かけてついにコロナウイルスが僕の体内に入り、発症となりました。

喉に違和感、咳が出始めたと思ったら、すぐに猛烈な寒気と関節痛と筋肉痛、いきなり38℃を超えていて、どうみても細菌感染の感覚じゃねえと思ったので病院予約して陽性を確認。

最高39.4℃まで熱があがったときには、さすがに朦朧としたし、なによりやばかったのは関節痛で、よぼよぼのおじいちゃんみたいな歩き方になってた。

幸いにも、2日で熱は下がって少し咳が出るぐらいでフィニッシュしそうな感じ。

おかげで盆休みの実家帰省は飛んでしまい、自宅待機でひたすらYouTubeを見てる。

そういえば、先日の大気が不安定だった時に、実にいい雲の写真が撮れた。


(追記) 発症後4日経過して、熱は引いて軽い咳と鼻水づまりぐらいになったものの、なんか自律神経の調子がおかしい。いきなり汗かき始めたり、暑くなったり寒くなったり体温の感覚がめちゃくちゃ、少し動くと動悸とフラフラ。これがいわゆるコロナ後遺症ってやつか?? 少し調べたら回復後もホルモンの分泌がおかしくなるケースがあるらしい。すごく疲れやすくなるっていわれるのは、これか。

(追記)発症5日目、熱は完全に引いて咳も鼻水もほとんどないのに、味覚が消えた! コロナで味覚がなくなるって言われてたけど、これか! っていうか毎年花粉症がひどくなったときに味が消えるのと完全に同じ。そして若干副鼻腔炎ぎみで頭も重い。非常に面倒だ。。

(追記)発症から1週間。味覚が少しずつ戻って来た。30%ぐらい? 動悸や平衡感覚の異常もだいぶ回復してきた。普通に仕事ができる。健康って素晴らしい。コロナさようなら!

麻布十番までラーメン食べに深夜ドライブ

久しぶりに時間ができたので、一人でゆっくり深夜ドライブしてきた。夜に都内まで運転したの最後いつだろう。コロナ前な気がするから、4,5年ぶり?

ドライブが目的だから行く宛は特にないんだけど、とりあえず麻布でラーメン食べて帰ってくるという大義名分を打ち立てた。

常磐道からC2外回り, 湾岸線東行き, 11号台場線, レインボーブリッジ, 下道に降りて麻布まで, 麻布ラーメンの麻布十番店で醤油ラーメン1杯。そのあとは日付変わってから、下道で日比谷通りで東京→秋葉原→上野→国道6号をひたすら北上してつくばに帰宅。4,5時間ぼーっと楽しんだ。

麻布ラーメンはあいかわらずの味だった。もやしとネギをぶち込む楽しさは健在。都内で死ぬほどサラリーマンしてた頃の記憶が蘇る。もう15年ぐらい前のことなのに、それほど遠くに感じない。ただ、かつてホームだった芝浦店はなくなったらしい。

久々に夜の都内走ったけど、なんか雰囲気かわった気がした。特に六本木・麻布十分の深夜なんてもっと人でごちゃごちゃしてた記憶あるし、秋葉原は深夜なのにメイドのキャッチがうろうろしてて風俗街っぽい雰囲気あった。

帰りの下道6国もほとんど変わらず。深夜1時を回ると車も減って実にいい雰囲気。墨田、葛飾、松戸、流山、柏、取手と、都心からだんだん郊外に出て行く感覚が、相変わらず気持ちよかった。

戦争の覚悟

世界は大戦に向けて動いている。じきに僕たち日本人も「まさか僕たちが戦争の世代になるとは」と言う瞬間が来ると思う。10年後、2033年は見える景色が変わっているに違いない。

コロナショックでインフレになったあたりから嫌な予感はしていた。人間の歴史では疫病や経済が混乱すると戦争になっている。おそらくそれは偶然じゃなくて、きちんと因果関係があるのだと思う。国民の意見が分断されて内戦になりそうになり、外敵が必要になるとか、混乱に乗じて覇権に挑戦しようとする国家にとってはチャンスだったりするからだ。

一年前にロシアがウクライナに侵攻して、いまでは実質的にウクライナ戦争は東西の代理戦争になった。さらに今年に入って、これまで喧嘩していた中東産油国がまとまりつつあり、なによりも中国が人民元で石油を買って、ドル覇権への露骨な挑戦を隠さなくなった。それに対してアメリカは気球を戦闘機で撃ち落とした。

だんだんエスカレーションしているのは間違いない。それよりも怖いのは、落としどころがまったく見えないことだ。たぶん、東西どちらも、やるところまでやるという覚悟がきまってる。だから総力戦になるだろう。数十年かけて世界地図の国名や国境線を塗り替える、とてもながい戦争の時代になると思う。どのタイミングかはわからないけれど、アジアでは朝鮮半島でもうじき火の手があがるだろう。日本はウクライナ戦争での今のポーランドのような立ち位置になるはずだ。

岸田総理は「勝利」とかかれた縁起物のしゃもじをゼレンスキー大統領に渡したらしいけれど、岸田総理なりの、日本を戦争に導く覚悟と決意だったりして。

ひな祭り

2023年にやらなければならない最大の仕事終了。

今日、23年前と同じ場所で先生に手紙を渡してきた。

渡した瞬間の反応から、先生は手紙を読んでとても嫌な気持ちになるだろうと察した。

まあ、なんとなくそうだろうとは分かっていたけれど、手紙を渡さず、自分ひとりで抱えたまま生きるほうを僕は選ば(べ)なかった。結局、先生にご迷惑をかけるのは、2000年と2014年の繰り返しだ。でも、いままでと違うのは、その時の気持ちから今に至るまでの全部を伝えたこと。これを最後にするために。

本当に、大変みっともないけれど、もう仕方なかった。先生にごめんなさいとありがとうを伝えた。書いていて、ああ最初から手紙にすればよかったな、と思った。まぁ、いままでの遠回りは全部、それに気が付くために必要だったのかもしれない。

とにかく、やっと終わるよ、夏休み。春が来る。桜の季節ですよ。

花粉症シーズンも始まったし。実にいい季節になるよ。