いよいよ実体経済に波及してきてる。パニックが発生する可能性がちょっとだけあるかもしれない。家電とか「いずれ必要になるもの」については、余裕があるなら、早めに買っておいた方がいいかもしれない。僕は子供用のノートPCの購入を前倒しにして、車の点検をやろうと思ってる。
カテゴリー: ビジネス
会社の節目
盆ですね、夏ですね。セミが鳴く鳴く。
会社が節目を迎えてる。大手企業からの受託の仕事を切って自社製品ですべてやっていく方針にして2年。ギリギリ食えるところまで来たけど、あとひと踏ん張りが必要だ。ここから先の10年を決める大切な時期だと思って、今期は引き締めて気合入れていく。人員の規模は追わない。時間はかかっても、すべて仕組みで強化していく。
自分で会社を立ち上げた直後は失敗したらサラリーマンに戻ろうと思っていたけど、気持ち的にも年齢的にも環境的にも、もうその選択肢は完全になくなった。「すっぴん」状態で立ってる感じ。やっとここまで来たなあ。やっとだよ。
「けものフレンズ」全話みた
なんでこんなに流行ってるのか知りたくて「けものフレンズ」全話みた。
作品自体はほんと控え目に言って何が面白いのかわからなかったんだけど、でもネットでは、流行ってる、とされている。
作品自体はあくまで普通、という前提を動かさなければ、たぶん「けもフレが流行っている」という言葉が、僕の中の「流行っている」の基準と違ってるから、僕は違和感を感じるのだと思う。
いまのSNSの時代、みんなが同じ「流行ってる」という言葉を使うのだけれど、実はその規模が、人ごとにものすごく違っているのに、その違いが解釈されずにバズを起こしているのかもしれない。
100人ぐらいの濃いコミュニティ内で「流行ってる」という声を上げると、それを外から見た人が、自分のコミュニティの中で流行っていると勘違いして、作品を見てみる。すると一部の人はその作品に共感して「流行っている」と言う。それを聞いた別のコミュニティの人が…と、後は連鎖反応。そうして「流行ってる」という言葉が、規模が隠されて連鎖反応的にそれぞれの人の中の「流行っている」の基準によって解釈されて伝播していく。
そんな感じ。
少人数でもいいからまず「これすごい」「流行ってる」を言ってもらえるコアな人を掴んでネットでそう言ってもらう。
それがすごく重要なのかもしれない。
武器を設計する人の気持ち?
世界はカネ余りだ。いつか大きな調整局面がくるだろうと思っている人が多いし、実際、僕もそうなるだろうと賭けている。
円もドルも金も本来の価値をはるかに超えた信用を抱えている。バブル。細かい通貨に分散投資したところで、ドルペッグよろしく、あらゆるものがペッグしているので、本質的な分散にはなっていない。株やら不動産やら投資信託も巨視的にはペッグしている。膨らめるところまで膨らむよね。フロンティアを食いつくすまでは。
で、フロンティアが無くなると起きるのが、富裕層同士の戦い・蹴り落し合いだ。バブルが破綻したときに、もっとも割を食うのは「頑張って生活費以上を貯金している人」になる。すべてをデザインするピラミッドの再頂点には、調整済みの膨大な資産が残る。一方、ダラダラとその日を浪費している人にはバブルがはじけたところで影響がない。例えば、預金封鎖を例にとれば、預金封鎖を実行する人は事前に資産を逃がせるし、預金を持たない人には影響がない。つまり、それ以外の、頑張って真面目に働いている、いわゆる「普通の人」が、そうでない人の過去の膨大な信用・負債をすべて引き受ける構図になるしかない。
自分は何のために仕事してるのかなぁとふと考えてたら、やっぱり、家族や友人ほか、世話になった人に恩返しがしたいんだろうなぁと。大して役に立たないシェルターかもしれんけど、小さくても防壁をコツコツ作ってる感はやりがいになっているかもしれない。「あんたがいて助かったわ~」と言ってもらえる日に、やっと達成なのかも、とか思ったり。
でも、破綻が起きてほしいような起きて欲しくないような、複雑な気持ちになる。
たとえば、武器を設計してる人は、こういう気持ちになるのかもしれない…?
本日、はじめてセミの鳴動確認。
いい季節が来る!
1000万、1億、10億、100億、1000億
会社をやっている立場上、生活費とは別の感覚でお金を動かすことが日常的にある。500万とか1000万とか。
僕はサラリーマンもしばらくやっていたので、1000万の重みをよく知っている。
普通に生活していれば何年か過ごせる金額だし、貯めるにも相当の覚悟と時間が必要だ。
でも、立場が変われば、1000万円がジョークにしかならない事もある。
社会人が小学生に100円をあげる感覚にも満たない。
なんなら1億円だって、例えばベンチャー投資の軍資金なら、「え、1億だけですか」になりえる。
僕の会社は本当に零細だ。
それでも、1億円で何ができて、何ができないかぐらいはわかる。
1億円渡されればすぐに目標に向けて最適なカードを切れる自信がある。
これが10億になると、切るカードに少し自信が出ない。カードは切れるけれど、それが本当に最適かどうかは分からない。
100億は、まったく分からない。分からない上に、少なくとも1億と同じカードの切り方を100回やってはいけないのだろうということだけは確信している。
1000億は群体としてのヒトをコントロールするためのメタな行動、つまり、政治にしかならない、という感覚だけがある。
逆に言えば、10億円という金額のオーダ付近で、「闘う土俵が別になる」という感覚がある。
僕がサラリーマンだった時に1億の使い方がわからなかったのと同じように、おそらく10億付近に地平線があるのだと信じている。
その先はそこに到達しなければ、見ることができないはずだ。
ツアーでその地平線に連れて行ってもらうことはできるだろう。
他人の資本をぶち込みまくって、他人のデザインに自身を委ねれば。
でも僕はバックパッカーとしてそこに行きたい。
それが僕の縛りゲーだ。