敬愛するトラックメーカー kamome sano先生と、敬愛する女性ボーカルSuch先生のタッグ。破壊力すぎる。
Such先生の透明感のある声をkamome sano先生がこれまたカリカリなグリッチなのに透明感のあるトラックに料理していただいてるんですよ。一体化しております。本当に。このアルバムINNERSTELLARのKARUI Remixのほうは、もう少しkamome sano先生の遊び心もマシマシとなっており、また気持ちいい。
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新作「君たちはどう生きるか」の公開を前に、予習的な意味で宮崎監督の10年前の作品「風立ちぬ」を久しぶりに見た。
とにかく”美しい”と”気持ち悪い”のギリギリ境界線。生死、特に性の描写。文学としては、高畑勲的だったり村上春樹的な意味で、たいへん質が高いのだとは思うけれど、僕は正直そういうのが得意な人間じゃないので良さはわからない。圧倒的な表現力と知識で描かれた芸術作品であって、大衆に向けたエンタメ作品じゃないことはよくわかる。絵の派手さもそれまでのジブリ作品に比べてたらブレーキを効かせまくっているし、サウンドもモノラルかつ人の声というめちゃくちゃミニマルな構成になっていて、それまでのジブリファンは置いて行かれる作品。レビューが賛否両論なのも、文学かエンタメか、どちらの映像作品として見るかによって、まったく評価が異なるからだと思う。もちろん、僕とかほとんどの人がジブリに求めてるのは分かりやすい大衆エンタメ要素であって、ナウシカ的だったりOn your mark的であったり、セカイ系だったりSFだったりする。
そうやって風立ちぬを久しぶりに見終わったうえでの、今作の「君たちはどう生きるか」について考えたのだけど、やっぱり僕は、宮崎監督には、まことに勝手ながらも、最後の最後にエンタメの神として伝説的に終わって欲しいと思った。もちろん腐るほどエンタメを描いて描いて死ぬほど苦労された人生だろうから、もう二度と描きたくないはずなのは承知の上で。
もし「君たちはどう生きるか」が運よく大衆エンタメに寄せたものだとしても、たぶん、エンタメ表現が極まりまくっている傍らで、脚本には隠し切れない文学的なものが交じり合い、そのちぐはぐでハレツするんじゃないかと思う。というかむしろ、そのハレツを見るところが今作の味わい方なんじゃないかとさえ思う。人生の最後の作品という立場にあってそうなることは、決して誰にも叩けるようなものではないし、誰もが老人になるのだから、異物として忌避するべきでもない。俺だってじじいになったら最後はハレツする自信があるし、みんなだって人生の最後はハレツするんだから。
ネットでも、みんなナウシカ2だったらいいなとか言ってるけど、もうナウシカ原作は、庵野さんも含めて、誰も触らずにそのままにしておいてあげたほうがいいと思う。それだけ、久しぶりに風立ちぬを見たインパクトは大きかった。
やっぱり新作は看取りに行く覚悟でよさそう。本田氏作監で久石譲氏ということで、7/14初日にCS土浦のIMAXを予約した。
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風立ちぬで一番好きなシーンは、シベリアのシーン。宮崎監督の強烈な自虐・自白。自分がアニメ作品でやってること。ひたすらに情を捨て美しいものを追う中で、気まぐれに情をかけている自分。風立ちぬの中で一番エグいシーンだと思う。その後に響く本庄の「それは偽善だ」の力強い声、続いてひとごとのような庵野監督の声での「どうしてこの国は貧しいんだろう」。わかりやすい”できた人間”たる本庄と、圧倒的才能と美の追求で動くモンスター的主人公の対比。本庄は主人公に対して才能で一歩及ばないことを認めている。思えば、本庄って高畑勲監督なのかな? あのシーンみてると「おいおいそんなに自傷するなよ、お前も人間だよ、紅の豚じゃねーよ」と言いたくなる。
同時に、そんなに自己愛を見せた後にもかかわらず最後にもうひとつ作るというなら、自意識・自己愛・自分語りの対極として、みんなに娯楽作品を作って死んでくれと切に願う。たとえハレツしていようが関係ない、僕は、それがいちばんカッコイイと思うから。
ジブリ最新作そしておそらく最終作「君たちはどう生きるか」の公開(7/14)が近づいてる。
昭和から平成にコンテンツを消費してきた自分にとって、何もかもがバケモノ級に重要なポイントに位置しているアニメ映画だし、なんなら公開日の7月14日は僕の人生で最重要な日となれば、もう、仕事休んで初日に見に行くしかない。
内容は「冒険活劇ファンタジー」だそうで、一部界隈で噂されるような、On Your Markみたいにナウシカの世界線につながる話であってほしいし、キャラと謎と演出でエンターテインメントとして楽しませてほしいという期待がある。
ただ、冷静に予想すると、期待値が先行しすぎてて、どうやっても昔のジブリ映画のようなヒットは難しいと思ってる。たしかに、作画監督がエヴァやってる神アニメーターだし、IMAXで上映するらしいので絵も動きもいままでのジブリとは違うかもしれない。でも、それをもってしても最盛期のジブリを支えた「あの時代の空気」の前には、商業的な意味で、歴代の数字を超える理由には到底なりえないと思う。初日に見に行ったコアなファンがネット上で狂ったように絶賛してお祭り騒ぎになったとしても、そのお祭りで動員される層の厚さは、おそらく僕たちの予想するような数字ではないだろう。
つまり、作る側も見る側もみんな年を取り過ぎた。正直なところ、時代の終わりを看取りにいく気分だ。
僕の娘たちを見ていると、映像コンテンツそのものへの興味が僕たちの時代とはまったく違う。僕が新作についてどんなに感動してどんなに熱く語っても、そういう楽しみをしている時点で、娘たちからすれば、別の時代の人間としてしか見られないだろうと思う。今作が僕たちの世代にとって素晴らしい作品だったとしても、いまの子供達には僕らにとってのナウシカやラピュタのようには位置づけされない。マスは変わった。
感謝の気持ちを込めて7月14日に見に行くぞ。チケットとれたら人生初のIMAXシアター行ってみようと思う。
韻やばいよ韻
話題の自閉スペクトラム症(ASD)の弁護士のドラマを見てる。
https://www.netflix.com/title/81518991
めちゃ面白いのでおすすめ。
ただ、ASD傾向の自覚がある身からすると複雑なシーンも多い。特に学生時代に主人公がいじめられるシーンは自分にシンクロして冷や汗と動悸がやばかった。そのシーンでマイルドなBGMが流れてたんだけど、「いや普通に死と隣り合わせの地獄なんだけど何マイルドなBGM流してんの??」ってめちゃくちゃ感情的になってしまった。それだけ他人事には思えないんだな、と自分でも驚いた。
自分で言うのもなんだけど成績はだいたい上位で、スポーツはまったくダメ、他人の気持ちを察せない言動をしてたら、そりゃあムカつくよなと。このドラマの主人公みたいに、天使みたいな寛容な性格を持った人間に囲まれていれば、そりゃ多少対人能力に難があっても、生きやすいんだろうなと思う。
自分がいじめられてたのは、この性格というか特性のせいなんだろうということは、この年になってやっと認めることができるようになった。ずっと、イジメてたヤツとめぐり合わせた環境が悪かった、とか、田舎だから仕方なかった、とか100%他人のせいにして精神安定させてきたんだけど、結局自分の対人能力の低さがヘイトを買ってたのが原因だと思う。
それでも、こういうドラマを通じて、性格や気質にも生まれ持った特性があることを、少しでも多くの人に知ってもらえれば、次世代の自分に似たような子供が生きる環境は、少しはマシになるんじゃないかなと思ってる。
ドラマの中でキンパが登場するんだけど、そのおかげで最近の昼飯はおにぎりの代わりにセブンイレブンの小さいキンパ食べるようになった。おいしい。