何度目かのアシノン処方、胃を壊して2年経過

久しぶりに胃の話です。
胃をぶっ壊してから、ちょうど2年ぐらいたちました。
それからH2ブロッカー薬「アシノン」様と共に歩んできた僕ですが、
ここで経緯をおさらいしておきましょう。

2010年のこと。

ブログには書いてないけど、年越しのハワイ旅行で食いすぎてひどい胃もたれになった、っていうのが、そもそもの不調の始まり。今思えば2009年末あたりから崩壊がはじまっていたのかもしれない。。。
1/15 胃の不調の初の記事
1/18 初のH2ブロッカー「ガスター10」を自力処方 頓服的に飲んでいただけなのですぐにまた悪くなってた。
1/23 ギブアップして医者へ。 ニザトリック(アシノンのジェネリック)+ガスモチンと、もう一つ何か忘れたけど薬を出された。
1/24 少し回復?
1/27 回復…かと思いきや、ひどい吐き気で寝れない日 いまでのこの時の辛さは思い出す…。
1/28 再度、診察。薬継続だけど、胃カメラの予感
2/4 食後に苦しくて動けなくなる症状が出てきた。胃カメラを覚悟。 今思えば、H2ブロッカーは連続して2週間ぐらい飲まないと効果が出てこないんだけど、このころは薬を飲めばすぐによくなるものだと勘違いしていたため、焦った。
2/8 また少し回復、薬継続
2/12 再度医者へ。胃カメラ決定!
2/16 胃カメラ実施、地獄のレポート
2/20 H2ブロッカーを毎日飲んで、少しずつ回復 口内炎ができたりしてた。
3/2 90%ぐらいに回復して、毎食ちゃんと食べられるまでに回復

3/19 治ったとおもってガンガン食べて、再び胃もたれ

8/14 再び胃もたれ
8/30 1か月アシノンを飲み続けて回復

10/7 胃の調子70%ぐらいをウロウロ

そんな感じで、2010年以降、
・数か月に1度、胃酸がドバドバ分泌されて胃壁が壊れる
・ほとんど食べられなくなり(食べると苦しくて動けなくなる)、医者へGo
・アシノンを処方され、2週間、毎日朝晩のみつづける
・回復して元通りになる
以上、再発の繰り返しで、2年間が立ちました。
ちなみにピロリは陰性。

そして、去年つくば市に引っ越したので、新しい医者に移行することに。
前は、品川は青物横丁の胃腸系のお医者さんにかかっていて、
まぁ苦しい苦しい胃カメラ初体験もそこで済ませました。
つくばの医者も、いずれ胃カメラを再度やることを想定して、経鼻のカメラをもっているトコに。

今日初診で4週間分のアシノンをたっぷり処方されてきました。
これでだめなら胃カメラを申し出ようかと思ってる。

しかし、なんでこんなになったかなぁ。。。
たぶん東京リーマン生活のストレスなんだろうなぁ。
(自分ではまったくストレスを自覚してなかったけど)
2010年末ぐらいから一番調子が悪い時は、本屋を回っていると眩暈が起きたりしていたので、
たぶんストレスで自律神経がイカれてきた=変な緊張状態が発生して胃酸が出まくるんだと思っている。
胃の調子が悪いときには、連動して体調が悪化する気がするし。

で、つくばに引っ越してきて、自営業やりはじめて、
最近は、胃の調子が良い期間が長くなってきたかな?
と思っていたけど、やっぱダメらしい。

コツコツと行くしかなさそう。。。

祝!納車! Peugeot 207CC

実に構想6年!!!

その時が来たーーーーーーーーーーーーーーーーー

Peugeot 207CC イナリー・ブルー!!!
小貝川の堤防の道、背後には筑波山!

いやぁ。。。
語るよ。。。
語る。。。

まず、なんで車が好きなのか?

そもそも自分、「運転=ストレス解消」というタイプで、もっと言えば、自分の好きなようにやってないと(他人のレールに乗っている感があると)ストレスを感じる性格で、そんな性格だから、電車はストレスの塊になって、車じゃないとだめ。

大学生の時からずっと運転が好きで、夜な夜な関東近郊の高速道路を走ってた。大学卒業後に就職して、松戸市に住んむことになっても、車を手放せず、安い給料の中、月極駐車場を契約して車だけは維持。毎日、電車で品川に通っていたにもかかわらず、ストレス解消のため、夜には常磐道は流山ICから都内に向かっていた。

がしかし、電車通勤の苦痛に耐えられず、五反田に引っ越すことになり、泣く泣く愛車(日産のプリメーラ・カミノ)を実家に置くことに。最後に車を降りるときには車に対して何か申し訳ない気がして「また運転しにくるからな」とかそんなことを言ってた。

そして車のない東京の電車生活5年間に飲み込まれる自分。
五反田のマンションの駐車場代は2.5万円。
そのあと引っ越した港区にいたっては月5万円。
車がどんどん遠のく。。。

どこに出かけるにも、駅まで歩いて、電車を待ち、変化のないカーゴに揺られ、終電を気にする日々。
深夜2時に気分転換に出かけようにも電車が動いてない!
ましてやケンタッキーを食べながら快適なエアコンで音楽を大音量で流しながら、
テンションMAXで鼻歌うたうことなんて到底できない!!!
何より、それが死ぬまで続くるのかと思うと、ストレス OUT OF RANGE!!!!!

というわけで、(それだけが理由でもないんだけど)、
都内からつくばに引越し、念願の車生活に戻ることになったのでございます。

さて、次。

なぜ、オープンカーなのか。

運転が好きといっても、スピードだとか運転テクニックとかそういうのには全く興味がなく、
夜にガラガラに空いた高速道路を、まったりと走れればそれで良くて、
特にスポーティな性能とかまったくいらないのです。

だから、じっくり物事を考えられるとか、無心になれるとか、
ストレス解消のための空間づくりの方が重要になってくる。

そんな、ドライブを最高に楽しむための色々を考えていたわけですが、
結論として「屋根いらねぇ」と。
走ってる感があって、開放感があって、ストレス解消にはオープンカーは最高なはず!!

最初、オープンカーなんて考えてなかったんだけど、
今のマンションの駐車場にBMWのZ4があって、
「あ、オープンっていう選択もあるのか」と思ったのがきっかけ。

というわけでオープンカーを検討。

最後、なぜプジョーなのか???

これもですね、また深いようでそんなに深くないけど思い出深いエビソードがあるんです。

いまから13年前、17才の高校生の時に、オーストラリアの田舎にホームステイしてたとき
そこのホストファミリーの車が、超絶ボロボロのプジョーだったのがきっかけ。

もともと車種とかメーカーに疎い自分、日産とかトヨタとかしか知らなかった中に
プジョーっていうメーカーがあることを知り、以来、何故か頭に焼き付くことに。

そもそも、小さいころから、まわりと同じものを使うよりも、
他の人があんまり持っていない物を持ちたい、みたいな願望がかなり強い人間なので、
それ以来、「いつかプジョー」みたいなのが頭の中にずーっとあった。

そして、今回、念願の車の購入のタイミング。

プジョー・オープンカーという選択から導かれたのが・・・・

207CC!!!

ほんとは206CCにしようかとも思ったんだけど、
輸入車のわりにちょっと内装がアレで、
同じ値段だったら国産車のほうがずっといいなぁという印象だった。
でも、207CCを試乗して、「あー国産とはちょっと違うかも」的な感覚に。
試乗してみたら、風の巻き込みも少なくて、かなりいい。
エンジンがちょっと弱いかなっていう印象だけど、まぁ走りの性能はそれなりでOK。
なにより、普段のクーペスタイルの見た目も悪くない。
っていうか、知らない人が普通に見ると「クーペ?」っていうぐらい、分からない。

色について

プジョー207CCに決めていたときの、ある夜のドライブでの出来事。
つくば中央ICから圏央道に入ったときに、偶然、目の前に207CCが!

ちょっと申し訳なかったけどピッタリ後ろについて、ライトで照らすと、
なんかグレーじゃない! 青みがかってる!
テールランプの赤と淡い青が、激しくカッコイイ。

帰ってきて、すぐにカラーバリエーションを調べて
「イナリー・ブルー」と判明。
その時に色は決定。

そんなこんなの経緯があり、プジョーのディーラーに行って試乗したり、
中古車屋さんを見て回ってイナリー・ブルーを探したり
(実はイナリーブルーはそんなに人気ではなかったようで、今はもう絶版になってる、幻のカラー)

ついに1/24、納車となったわけでございます。

その夜、
ちょうど都内で食事をする予定があったので、
電車じゃなくて車で行くことに。

オープンにして首都高~常磐道を走ってきた。

それはもう、
最高というか、あまりの開放感に、C2を湾岸方面に走ったとき、
変な笑いが出てきた。。。

高速だけじゃなくて、下道も、同じ車なのにオープンにしてると別世界で、
辺り一面の都会の喧騒もそのまま中に入ってくる。

帰りの常磐道も、走ってるときにちょっと上見りば、
冬の星空すごい。

やーー
ほんとすごいわ。。。

いつか車載動画を撮影しようかと考えてる。

ちなみに、真冬にオープンにして死にそうにならないの?という感じだけど、
オープンカーはそもそも冬の乗り物で、
暖房が冬のオープン時に向けてデザインされている。

逆に、夏の昼間は絶対にオープンにはできない(すぐに熱中症になる)。
夏の湘南の海をオープンカーで走るイメージ、あれは完全にフィクション。

といっても、さすがにこの時期の夜は寒いだろうと思って、
ダウンジャケット+手袋装備していったら、大丈夫だった。
ただ、ちょっとフロントガラスの上に手を伸ばして風に手をかざすと、
一瞬で手の体温が奪われてヤバかった。
すごい熱の設計だと思った。。。

いかん書きすぎた
とりあえず祝!納車!

6年ぶりの自分勝手

自分勝手って言っても、あれですよ、そういう名前の居酒屋があるんですわ。筑波大学の近くに。

自分勝手

最近、仕事の関係で、母校でもある筑波大学に行く機会があるんだけど、あまりにつくばが懐かしくて、研究室の後輩と一緒に実に6年ぶり??に自分勝手「本店」に行ってきた。

6年経ってもだいたい雰囲気は覚えているもんで、お通しのキャベツと味噌も、そのまんまだった。いやーなつかしい。懐かしいよ。

で、

つくばにいると、気分に余裕が出る。という話。

っていうか、等身大を感じる感じ?
無理しない自分というか。

とにかく東京でサラリーマンやってると、自分の軸を失いそうになる。

なんつーか、みんな自由にやっているようで、サラリーマンっていう巨大な常識にグルグルに縛られてる。普段は意識しないけど、ふと「ありゃ、おれこのまま死ぬだけ??」的なこと考えたりするわけ。

最近特にそういうの酷くて辛いんだけど、なんでかなーと思って分析したら、ちょっとだけわかってきた。

ます、単純におれ電車がダメなんだわなー。。。
電車乗りたくなくて自転車使うし、タクシーですぐいけるならタクシー使うし、最悪の状況で電車をしぶしぶ使う感じ。
たぶんもう、車がないとダメ。っていうか車運転するの本当に幸せ。こないだの草津旅行も、無駄に運転しまくったし。

それと、定時出社とか、平日がんばって休日ゆっくりとか、花金で飲み会とか、実はそういうサラリーマンの典型的な生活もダメなんだと思った。みんなが頑張ってるからおまえも頑張れ的なのが、本当にダメ。一言で言えば、マイペースじゃないとストレス溜まる。

6年も経ってやっとそういう結論かよ、結論おせーよ、とか自分で思ったりするけど、社会人初めてだったし、かなり全力でやってたから、あんまり気がつかなかったんだと思う。薄々気がついてきて、最近になってようやく理解できてきたかんじ。ほんと、6年前は逆だったのになー。東京でサラリーマンやれると思うと、はやくつくばを出て行きたくて仕方なかったのになー。

郊外に住んで、車を乗り回して、定時に縛られるわけでもなく、自分の裁量と責任で、やりたいときにやりたい場所で仕事をする。っていうスタイルが自分が一番幸せなんだと結論。

しっかし俺、東京から出る決断するのって、何故かものすごい勇気が必要だったんだよなぁ。東京はブラックホールだって言うけど、本当にそうなんだと思うわ。

胃の調子その後

胃の調子が地味に壊れたまま全快してこないなー。
調子50%~75%を行き来してるような状態。
特にビール1,2杯を飲むと吐き気がするし、多めのラーメン1杯食べるとその日は気持ち悪くてなんにも食べられなくなるような感じ。
まぁ普通にうどんとかとか刺身とか食ってる分には大丈夫だから別にそんなに不自由しないんだけど。
たぶん微妙なストレスに晒され続けて分泌系がイカれ、自律神経がイカれ、胃酸の分泌とかホルモンバランスが崩れてるような予感がしてる。ようするに現代病ってやつですわ。仮に仕事半年休めばよくなるかもしれんけど、そうすると食えなくなるので、無理だし。

で、不思議なのは、仕事がまったくもって気楽な状態ってこと。ストレスなんてぜんぜん自覚しない。むしろ、平凡でルーチンワークな日常を送ってることが逆にストレスになってるのかも。独立して自分のやりたいことで納得感もちながらやってく方がいいのかなあ。

とりあえず独立を来年の夏に見定めてるけど、3月ぐらいでもいいかなー

1月終わっちゃうって、早いねー

再度病院いってみたものの、とりあえず薬を継続。来週もダメならたぶん胃カメラだなー。やだなぁ。鼻から入れるタイプだから、おえっとならないらしいけど、それでも嬉しくはないよな。

胃が壊れるって、なんかストレス溜まってんのかなと考えてみた。けど、ぜんぜん思い当たることないんだなぁ。っていうかある程度のストレスというか、めんどくせーとか、うわーどうしようとか、そういう話なんて腐るほど今まで体験してきてるわけで、なぜ今更なんだろう。

そろそろ三十路も近いということで、胃が弱ってきているという結論ですかね。

で、映画のアバターの話。

自分は、3Dだから逆に食い指がうごかない。「はいはい3Dすごいね」ってやらないといけないのが面倒。「おー飛び出てる飛び出てる」ってなるんだろうけど・・・。それを差し引いてもおもしろい、っていう話が聞こえてこないので、いまいち。

3Dテレビを売りたい人たちが同様に活路を見出せない映画業界とタッグを組んで運命共同体的にお金を投げてるじゃないのとか、思っちゃうわけでございます。