新年度を迎え、色々行動を起こしています

とりあえず、エイプリルフールねたは無いです。残念でした。

早いもので、もう4月になってしまった。
地震が3月11日だったけど、そのあたりから時間感覚がおかしくなってる。その前にどんな世間だったか、どんなニュースがあったかとか、そういうのが吹っ飛んでる感じ。。。

で、いろいろ動いています。

まず、僕はいまの会社に対して6末退社を宣言。
共同創業者は3末で退社して、とりあえず社長をお願いしています。

つくば市へ引っ越すため、賃貸の情報を調べ始めた。
駅近くだとびっくりするぐらい高い・・・。
やっぱりそれだけ需要があるんだろうなぁ。

あと、筑波大時代の恩師の先生にも事前のご挨拶。
7月頃に移住して自分の会社をやるってことを伝えてきた。
回答は、がんばれよ、っていうニュアンスで、「いいんじゃない?」という、いかにもな答え。
よかった・・・、超権力者である恩師に認めてもらえないと大学での活動は絶望的なので。

仕事は1件確実なものを受注。
さらに2件ほど、不確定な仕事の相談を受けている。
まずは死ぬことはなさそう。
ただ、延々と下請けをするんじゃ成長は見込めないので、
きちんと自社製品を目指すのと、社員を増やして体制を強化していく方針は堅い。

渋谷の東急ハンズで、現金を入れる小さい金庫や、領収書を貼るスクラップブックなど、
経理に必要なものをそろえたり。

とにかくモノをそろえたりするのは、頭を使わなくて済むし、楽しいので
ついつい没頭しちゃうんだけど、一銭のゼニにもならないので程々にしておく。

地球にお尻を思いっきり蹴られた感じ

あっけらかんと日常に戻る人も多くいるだろうけど、
少なくとも自分にとっては、今回の地震は大きな影響を与えた。

日常の生活をする中で何か忘れている感じ、
薄々とは気がついているけれど、なんとなく行動に起こせない。
「明日仕事もあるし、とりあえず考えるのはやめて寝よう。」の連続。
この国にべっとりと染み付いた日常。

そんな中で、今回の地震は自分のケツに強烈な蹴りを入れてきた。
たぶん自分だけじゃないくて、この国で日常に溺れながらも
なんとなく自分が何をすべきか迷っていた人に対して、
渾身の力を込めて全力トーキックを入れてきた感じ。
「おまえら、なんだその日常は、なめてんのか、
 どれだけ日常が特殊なのか、客観的に見せてやろうか」
と言われた気がする。

地震の影響は、(もちろん被災された方にとって悲惨なものだけど)
直接被災しなかった都心の人にとっても、
政治・経済、さらには人々の生き方を変えるんじゃないかと思ったりもする。

3/11から続くこの異様な非日常の雰囲気、
地震、津波、原発と、繰り返される悲惨なニュースで
ものすごく多くの人が強制的に恐怖と死と向き合わされて、
その後の混乱で、いかに今までの日常が特殊だったか思い知らされた。

石原さんが「この地震は天罰」といっていたけど、
(まぁちょっと言葉はアレかもしれない)、意図は共感できる。
この社会がさらに成長する絶好のチャンスだと思う。
というか成長してくれるのを本当に期待してる。

地震の後の土日

地震で被災された方へ、心よりお見舞い申し上げます。

土曜日は、とりあえずNHK付けて部屋を片付けながら、余震に警戒。
日曜日は実家の様子を見るために、茨城に帰省。
つくばエクスプレスはつくばまで間引き運転だけど、一応復活していた。
つくば周辺も水道が止まっていたり屋根の瓦が落ちていたり物理的な被害のほか、ガソリン不足が深刻で、ガソリンスタンドに長蛇の列ができていた。こりゃこのままだと、人が移動出来なくなって、地元経済とか医療に影響が出るような気がするな。。。

実家に帰ると、やっぱり瓦が落ちていた。
けど、それ以外はいたって平穏無事。

地震で落ちた瓦
▲地震で庭に落ちた屋根瓦

電気は2日間とまっていたらしい。
ロウソクとラジオで過ごしたとのこと。
親が元気だからいいけど、高齢だったらどうなっていたかと今から心配。

とにもかくにも実家は無事でした。よかった!

計画停電、日本経済は大打撃だろうなぁ。

まぁ、生きてるだけで。