どうせみんな言ってることは、とどのつまり「金くれ(メシくれ、セックスくれ)」「認めてくれ(愛情をくれ)」なんだっていう話をこのサイトに書いたことがある。いつだったかな、大学2年生ぐらい、今から6年ぐらい前だったような。
社会人になって、この話を再確認した。痛いほど実感してる。
特に、「金くれ」のほうは社会的に蔓延している。テレビ、ネット、雑誌、ありとあらゆるところに「金くれ」がある。つまりマスメディアが言っていることは、原則「金くれ」だと考えて間違いない。たとえばエコ。はっきり言ってエコが第一目的じゃない。第一目的は排出量取引で得られる利益、つまり金。
一方、「認めてくれ」は、どちらかというとこういうブログ記事であったり、Yahoo知恵袋であったり、2ちゃんねるに蔓延している。つまりコンシューマのメディア、CGMというべきか、そこで繰り広げられる個人の発言はとどのつまり「認めてくれ」だと考えて間違いない。
どこを向いても、「金くれ」か「認めてくれ」ばかりだ。みんなヒトだから仕方ないことなんだけれど、至極当然のことなんだけれど、どうしてもみんな必死だ。必死な訴求・訴えしか耳に入ってこない。
今の老若男女、みんな心のどこかで「うるさい」と思っているに違いない。
ちなみに自分がテレビを見ない理由はこれ。とてもうるさい。テレビだけじゃなくて、雑誌もうるさい。最近では新聞もうるさい。mixiをあまり見なくなったのもそう。テレビから離れて、ニコニコ動画をよく見るようになった。オリコンチャートから離れて、クラブサウンドやジャズばかり聴くようになった。
いまフリーターになる人が増えてる。結婚しない人・離婚する人が増えてる。たぶん、みんな「うるさい!ほっといてくれ!」っていう感じなんだろうなぁ、と思った。気持ち、わからないでもない。
その話はよくわかるんだけど、
「うるさい」のは大昔から変わらないんじゃないかと思う。
許容範囲が狭くなっただけ。
我慢ができなくなっただけ。
うるさいから耳をふさぐ、じゃあつまらないぜ。
ストレスを感じなければ成長することはできないんだから。
どーだろうねぇ。
手紙・電話・ネットと、コミュニケーションの物理的な制約がなくなってるから、余計にうるさく感じるようになってるかもよ?
あと、昔の人と比べてキャパがなくなる理由がわからないなぁ。
眠い。。。GWは電子工作とドライブで暇つぶしing