悪い夢

執筆がおわってリリース作業。ここにきて緊張の糸が切れてニュートラルに近い感じに戻ってきた。近しい人に少し教えてみたんだけど、まあ文章が読まれない。そりゃnote読むような属性の人に向けたんだけど、リーチが大変だぞこれは。

今朝、久しぶりに悪い夢をみた。たびたび僕のブログに出てくる「恩人」の夢だ。恩人が脳に病気を抱えた。脳のCT画像っぽいやつに真っ白な反応が写ってて、それがとても気持ち悪い形をしている。グロテスクな病変を頭の中に入れた恩人に、なんとか助かって欲しいと必死に必死に願う、にもかかわらず恩人は無言で何も言わない。病気もどうにかなってほしいが、恩人から生きる力を感じられないのもどうにも見ているだけで苦しい。神様悪い夢であってくれ、という夢。んで、めでたく夢だったんだけど、目が覚めたら心臓はバクバクしてるし、呼吸も大きく、体の震え。自律神経が完全に戦闘モードだった。

でもまぁ、今回は夢だったけど、いつかだれか違う形でそういう日が来るのは、人間だからしょうがないんだよな、と思いつつ、とりあえず最悪な気分で一日をスタートさせた。20年以上経つのに、定期的にうなされる。仕方ないね、夏休みの宿題をやらなかった、罰なんだから。精一杯やれることをやっていくしかない。

8月も今日で終わり。朝晩冷えるようになって、秋っぽい感じになってきた。いいねえ、実に、いいねえ。

書き終わった。構想10年。

「サルトルの他者地獄は悪魔の姿になっていよいよ私たちの前に立ちはだかったのである」って感じ。

校正とか挿絵を清書する作業がまだ残ってるけど、とりあえず書くべきものは書き終わった。マジでつらかった。がんばった俺。言いたい事を出し切った。昔から思っていたことや最近思っていたこともちゃんと書けた。自己採点で90点つけてもいい。自画自賛。おつかれ俺。

今回の作品は、ほぼ自分の人生の集大成で、もとを辿っていけば、僕自身と、僕を救ってくれた恩人のトラウマが、今この作品のためにあったはずだと思いたいぐらい。とにかく10年前ぐらい前から、仕事やりながらも「いま社会に対して自分が何か表現すべきテーマがあるとしたらこれだろうな」的な構想がずっとあった。

でも、時間を作ってじっくり考えるだけの環境が整っていなかったし、自分の中でも何が問題で、そしてどう解決できるのか整理できなかったので、ずっと言葉にできずにいた。そもそも世の中に対して何か主張をすること自体に、そんなに自信があったわけじゃない。

けど、1年ぐらい前に、noteでちょっと長めの「みんなこうしたら幸せなんじゃないか」っぽい記事を書いたら、それが結構バズって3000いいねぐらい集めたのがきっかけで、ああアジっぽい文章イケるんじゃないかという感触を得た。その後、40歳を迎えていいタイミングなので今年の目標に入れ、仕事のスキを見つけて7月から執筆開始。1ヶ月半かけてまとめた。

ここから、僕のことをよく知ってる人に計画を相談したりと、公開まではまだ時間がかかるけど、あと数か月後には世に出したい。ちなみに、僕が作者だということは、誰もわからないし、僕は一切表に出ないことに決めてるので、裏からこそこそ楽しむことにする。もちろん、バズってくれればの話だけど。

「夢を諦めて死んでくれ」

進撃の巨人のリヴァイ兵長の一番好きな言葉がこれ!

執筆継続してるけど、ジャンルが幸せの考え方とか啓発とか思想のたぐいなので、無邪気には書けないので、精神的に結構つらい。書かないほうが世のためなんじゃないかと思うときが何度もある。

結局、宗教みたいに超越的な存在を用意しない限り、誰かのための幸せを説明すること、かならず誰かの不幸を説明することになる。社会保障の問題もそうだけど、何かに線引きを明確にすることは、救われる側と救われない側を明らかにすることに他ならない。文章を書いている途中、僕の文章を読んで気持ちいいと思う人を想像する一方で、苦しい思いをする人の気持ちにもなる。それでも線引きが必要だからと思うから、線引きする。「救われる側のための犠牲になってくれ」つまり「夢を諦めて死んでくれ」と誰かが言わないといけないと思ってるし、いままでお世話になった分を汚れ役をやることで少しは償えるのかなと言い訳をしたりしてる。もちろん僕が救われない側にいったら、コロっと手のひらを変えて、救われようと抗おうとすると思う。でも、そんな矛盾なんかでやめるほどもう大人にはなれない。覚悟だけは決まってる。

小学生の娘が、いま子供達の間で流行ってるって言ってた曲。

子供もみんな戦ってるね。僕も自分の戦いを戦うぞー!

執筆活動中

こんなに文章を書いてるのは大学以来か、いや最近でも補助金の申請で事業計画書を書いたのだから、文章を書くこと自体はそれほど久しぶりなわけじゃない。でも、これがすごくすごく久しぶりに感じる理由は、あまねく一般の誰かを説得するための文章、ってことだな。

もちろんお金もうけのために書いてるわけじゃなく、40代から始める、新しい事業のための本。ネットでも無償で公開するし、うまく広がるようなら、自費出版で紙媒体にする予定。前にもこのブログで書いた「マクロな不幸はミクロな幸福を否定しない」っていうテーマの作品。自分の人生をかけたアート活動みたいなものかもしれない。

最近はその関係で哲学・アート・社会学の関係の本を読み漁ってる。いままで哲学も美術もリアリティがないからといって”遠慮”してたんだけど、まぁそろそろ逃げられないと思って勉強はじめた。もちろん、知の巨人にりたいわけじゃ……いや、若い連中の飲み会のイッキ飲みコールみたいな、巨人たちのコンテクストに自我を統合したいわけじゃない。あまくで、自説にちょっとだけ、それっぽい味をつけるだけ。界隈の言うホンモノなんて僕には無理だし、それがあるかないかは、この作品の目的には関係ないだろう。

最近、すごく子供っぽい行動になってきてるのを感じていて、僕は間違いなく帰ろうとしてるんだなと確信してる。このブログのサブタイトルが帰り道の道草であるように、どうせなら、誰もが度肝を抜いて、人によってはドン引きするような、また人によっては心から救われるような、ボラティリティの高い帰り道にしていきたい。

ベランダのミニトマトが楽しい

この春に、娘たちが学校でミニトマトを育てるというので、苗を買いに行った。その時に、どうせならベランダのプランターで育ててみるかということで、家用にも1つ買った。

何気なく始めたベランダの栽培だけど、これがなかなか面白い。毎朝、水やりや葉の様子を見て、最高のコンデションに調整するようにメンテする感じが楽しい。育成ゲーム感覚に近い。肥料やりすぎて土壌の肥料の濃度が上がりすぎると浸透圧のバランスが崩れて根から給水できずに枯れる、とか、実に生物学。ハダニがついて対処方法を調べるうちに、ハダニの薬剤耐性の問題があることを知ったり。

こんなの、若い頃はぜったいやらなかったわ。いや、結構忙しいんだけどな。。。