レビュー: Serial Experiments Lain

3連休最終日。

知り合いから薦められたアニメ「Serial Experiments Lain」を見た。

なんでも10年前の深夜アニメでかなり人気があったのだとか。ぜんぜん知らねー。公式サイトの作りが適当だけど、まあカネがなかったんだろうなぁ。

で、内容は、よく言えば大変に前衛的。悪く言えば、魅せられる可能性は少なそうな作品。まっくた一般向けじゃない。

導入もなく、ネットとリアルのうんぬん、という話は、とても一般人には着いていけないし、空気・雰囲気もエンターテインメントではない。ときどき使われるBGMが共振周波数になってたりと、描写は独特。見方によっては面白い。なんつーか、ものすごく深夜アニメです。そして世界系です。自分の話の次にあるのは世界です。

こんなヒトにおすすめ

  • パソコンとかインターネットが大好きだ
  • 映画マトリックスみたいな話が好きだ
  • 暗い主張、絶望とか生死の等価とかそういう話が大好きだ
  • 世界は消えてなくなればいいと思っています
  • どうして人間は孤独なのか疑問です
  • とにかく時間があるので暇をつぶしたい

LainのDVDとか色々はここ

以下、半分ネタバレと、自分の考えること色々。前提に対する突っ込みなので、まったくの不毛です。

上記lainの世界では、「ネットはあくまでもコミュニケーションのツール、つまりあくまでも脳の媒介であって、リアルのみの人格は有ってはならない」という主張と、そうではないauthorityとの争いが描かれていた。

で、そもそも、電話線の中に心は宿るかっていう話。

ちょうどいま、自分は仕事で脳科学の本とか論文を読んだりしてるんですが、コミュニケーションってのは、脳内の外界モデルの中の、自己モデルと他者モデルを仮定して、そのモデル達を元に外界に対してオペレーションして、他者からそのオペレーションが認知されるのが本質。

つまり、電話線をインフラとして、何らかの識別可能なオペレーションが他者から認知されれば、それは電話線の中に人格が存在する最低条件じゃないかと思うわけですよ。まぁ人格ってのは、電話線にあろうが、生物学的なシナプスにあろうが、あまり関係ないわけで、重要なポイントは、声が聞こえるとか、見えるとか、そっちのほうが重要なわけです。マトリックスですな。これは理論的にはok。

で、その相互作用を起こすための、自己モデルや他者モデルを内在させる仕組みが難しい。今のところ脳みそ以上に適した媒体は見つかっていません。なので、体を捨てて、ワイヤーに自我を移すっていう話。理論的には可能だけど、現実的には不可能だと思われ。

しかし、世界系の話は難しい。個人的に、世の中をあんまり難しく捉えるのはあんまり好きではないです。

さて、すき焼き、すき焼き。

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