頭の整理 単一の規模の限界と分散システムの時代

頭の整理!

至極一般的な話、単一のやり方には最適な規模というものがある。そして最適な規模をオーバーして拡大させれば効率が犠牲になる。あるとき、ペイしなくなる。次に起きるのは、効率の良い小規模なものを大規模にまとめあげるシステムの進化だ。

生物の進化になぞらえれば、一時期、恐竜の時代、生物は体を巨大化させた。巨大化することが生存競争に有利になる。でも実際は巨大化することのデメリットが表面化しなかっただけだった。環境変化によって潜在的なデメリットが露呈してすぐ絶滅した。次に台頭したのは単一の個体が巨大な生き物ではなく「社会性」であった。それは単一の個体として最適な大きさをもちながら、それが別個体と連携して、擬似的に巨大な生物として維持されていく仕組みで、たとえば人間がそれにあたる。

例えばCPU、単一コアの微細化と高速化は限界が見えている。だからコアを複数持たせるとかGPGPUのように並列処理に特化したアーキテクチャの方向に進化している。例えば機械学習。単一の汎用の大規模な学習器ではなく、一つ一つは単純な判別をする学習器を組み合わせ、それを重み付けにのネットワークを構成することで全体として規模と性能を両立した学習器に仕立てる。

もちろん、この流れはビジネスや社会システムにも起きる。

もともと、強力な中央集権が抱える問題ゆえに、地方分権が考えられた。要するに、1人の王様がみんなから搾取しまくると、配下の能力のある人間から常にクーデターを企てられ、その繰り返しで国家として疲弊して、外敵に負ける。この構造的な問題に対して、能力のある人間にはそれなりに権力を分け与えて「ミニ王様」をやらせることで、自らのクーデターを企てられる確率を低くする。王様としては、頭と尻尾はくれてやるから、システム全体としての持続可能性を高めることができる。

じゃあビジネスの視点で考えると、小規模の集合体が集まっていく時代という考え方になるのだけれど、ではどのぐらいの小規模を束ねるのが一番良いかという話になる。たぶんそこがフロンティア。前のイジメのエントリに書いたけれど、スポットライトがあたらない価値というのは、本当に絶大だと思う。

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