4日経っても38度~39度の熱が下がらず、喉が腫れまくって痰にうっすら血が混じる…
たまらず病院にいったところ、アデノウイルスと判明。
先々週から長女が1週間発熱してたけど、あれは実はアデノで、長女からもらってしまったんでしょう、とのこと。
幼稚園から珍しいウイルス殿やら細菌様を輸入してきては家庭内でお披露目されるという、この王道の展開。
嗚呼。
そして、どう考えても、妻や次女もウイルスに晒されてたことになる。
アデノ祭りの悪寒!
みなさまお気をつけてください。(どうやって!)
4日経っても38度~39度の熱が下がらず、喉が腫れまくって痰にうっすら血が混じる…
たまらず病院にいったところ、アデノウイルスと判明。
先々週から長女が1週間発熱してたけど、あれは実はアデノで、長女からもらってしまったんでしょう、とのこと。
幼稚園から珍しいウイルス殿やら細菌様を輸入してきては家庭内でお披露目されるという、この王道の展開。
嗚呼。
そして、どう考えても、妻や次女もウイルスに晒されてたことになる。
アデノ祭りの悪寒!
みなさまお気をつけてください。(どうやって!)
ぎっくり背中は1日置いたらすぐになおった。よかったよかった。
と思っていたら、
一昨日から喉の痛みと39℃近い発熱。。。ロキソニンで凌いでます。
いやぁ、今年に入って何回目だよ風邪引くの…
娘の1週間にわたる風邪が完治して、今回はもらわなかったな~と思っていたけど、もらったっぽい。
嫁と下の娘は平気みたい。
なんかここ半年ぐらいで免疫が落ちてるような気がするんだけど大丈夫なんだろうか自分。
単に若くなくなったという話であればいいんだけど。
しかし、技術系のビジネスというのは本当に難しいね。
技術系の零細企業なんて、競争力もなにもあるわけない。
同じことをやれる連中が星の数ほどいる。
だからとにかくニッチに徹さないといけない。
マスで戦うには技術的にも資本的にも体力が必要だ。
でもいつまでもニッチで燻っているのももどかしい。
どこかで伸びるきっかけが掴めればいいんだけどね。
とにかくやれることをやって、天命を待つしかないな。
—
ネットをだらだら見ていた。
「援助じゃアフリカは発展しない」
http://d.hatena.ne.jp/cosmostargirl/20110627/1309190380
アフリカの話はそうだよね、ということで、「著者は、ザンビア出身、ハーバードで修士号、オックスフォードで博士号をとり、世銀に2年、ゴールドマン・サックスで8年勤めた経験を持つ、女性エコノミスト。」の部分が気になった。100文字で表すには十分な迫力の経歴だ。
人はサルから進化して、今でも社会の中では文字通り「サル山」的な権力構造の中に入らざるを得ないんだけど、
僕はどうしてもサル山が昔から嫌いだ。嫌いな一方で興味もある。
ボス猿に近づき喜ばれることをすればお金も手に入るだろう。でも同時にボス猿に支配される契約でもある。
ゴールドマンサックスはボス猿に近い。ボス猿圏内。だから年収もいい。そりゃそうだ。
でもボス猿圏内だから及ぶ支配の力も強い。自分からボス猿を取ったら何なのか分からなくなってくるんだよね。
それでokな人はいいんだけど。
自分は何をしている時が幸せか、をキチンと認識するの、本当に大切だ。
すごく誤解招く書き方かもしれんけど・・・
なんだか最近、死を意識しながらの発言が多くなってきた。
いや、別に死ぬ予定があるとかそういうわけじゃないし、むしろ大変元気ですから、そういう意味ではないのですが。
最近、友だちとかに対して、
「健康には気を付けたほうがいいよ」とか「体力のあるうちにしかできない」とか
そういう話を出すことが多くなってる。
ブログでも、健康を損なうこと前提の考え方とか、かいてるし。
いやほんと、突然あなたガンですって言われるとか、交通事故に会うとか、致命的でなくても、
難しい病気になるとか、いつかほぼ確実に来るわけじゃないですか。間違いなく。
事実もう闘っている人もいっぱいいる。
20代のいままではそれがリアリティを持てなかったけど、最近は本当にリアルで、
また縁起でもないこと言うなって感じだけど、友達だとか30代だし、死ぬ人も出て来てもおかしくない。
そんで死ぬのは自分かもしれない。死ななくても、避けられない不幸になるかもしれない。
そう考えると、たまに会う友人を見て元気そうだと安心する一方で、
「じゃあまたな」と別れ際には、これが最後かもしれないなと思ったりもする。
「いつまでもみんなと元気でいられたらいい」と思ったりもするけど、
まぁ現実的にみんな健康そのものなんて無理。
みんな病気するし、病気をしなくても、なんかの不幸になるわな。ならないわけないもん。
つか、人生なんてそれが普通なのに、20代はあんまりにも健康が常識だから、気が付かない。
いやぁ、バカだよね。ほんとふりかえってウケるわ。バカだったわ。
そう考えるからこそ、逆に最近ものすごい元気で、
いままで臭いものにフタをしてきた死と病気について、少しずつ向かい合いはじめたことで、
変なプライドとか理想とか追いかけなくなってせいせいしてる。
うまくつながり表現できないんだけど、
北野武の映画で「キッズ・リターン」ってのがあって、
学生のとき、大好きだった女の子が好きだったから見た、っていうだけだったけど、
いまさら、あの映画の意味、たぶんこれなんだろうなぁ、とか思ったりしてる。
30才とかこのぐらいの年になって、みんな一度、学生に戻る感じ。
学生のとき、子供心に加え、健康も自分の才能も無限にあると信じ切って社会に飛び出して、
健康と才能の有限さに気が付いて、
5年とか10年ぐらいで挫折して、
重荷になっていたプライドとか理想を捨てて、
もう一度子供心からやり直す感じ?
まぁ、挫折とかなく仕事つづけて40,50才になってる人も大勢いるわけで、
どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、趣味なんだけど。
とにかく出し惜しみ無しで、元気に頑張る。
最近、めっきり面白いものを作ることに興味が無くなった。
ここ2,3年間、面白いものを作って、いろいろメディアに取り上げられてきた。
でもそこで学んだことは、そのやり方では、もう自分は成長しないだろうということだ。
なぜなら、自分が「ビジネス」だと思って取り組んでいた、Webとメディアでのやり方は、
つまり世の中一般で言う「趣味」だった、ということに気が付いたからだ。
だから、企業を決めた去年の夏ごろからは、その土俵ではなく、何か新しいことを勉強して、
Webとメディアはあくまで小手先にして、「ビジネス」ができる分野に進出しようと決めた。
自分のキャリアの否定も含んでいたし、新しい分野だから右も左も分からない。
当然、武器は技術力しかないけど、その技術もゼロから学ぶ必要がある。
面倒臭さとか不安だらけだった。でも、それをやらないと起業はうまくいかないだろうと、
自分自身の性格となりゆきを直視して未来を想像した。
自営業は、現実を常に直視しなくちゃ生きていけない。
しかも単なる直視じゃない。
普通なら目を背けてしまうような、自分の奥底の、内面的な弱さを直視する必要がある。
今の自分が5年後も同じ状態だと想像して、ゾッとすれば、不安をバネに自らを変化させる努力が必要だ。
その想像に耐えられなければ、成長はない。今の自分のままだ。
今の自分は、妻や親が倒れて、自分が病気をしたら、もう誰も助けてくれない。
周囲が倒れるのも自分が病気するのも、確実に来る未来だ。夢じゃない。ならば用意しなくちゃいけない。
趣味とビジネスの違いはここにある。
趣味は、現実を直視しなくて出来る範囲のことだ。
だから楽しい。けれど儲からない。楽しいことは多くの人がやっているから。
ビジネスは、現実を直視しなければできない。
だから辛い。けれど儲かる。辛いことは多くの人はできないから。
前職の取締役が、経営はアスリートに似ているという話が、なんとなーーくわかってきた気がする。