最近の日常とカフェイン

最近の自分。

会社の業務と家族の幸せ。この2つについては、寝ている時以外、ほぼ無停止で常に何かしら考えを巡らせている。2つと言っても、会社の成功は周囲の幸せと密接に絡んでいるので、実質同じこと。

それと、たまに自分の人生を振り返ったり死について漠然と考えたり、趣味的な意味では人、国家、経済、資本主義、とかについてもなんとなーく調べたりしてる。意味ないんだけどね。知的好奇心を満たすだけ。

胃の調子が戻ってきたので、日中の仕事してるときと、夜に子供が寝た後、よくコーヒー飲んでる。コーヒーに弱いのに、コーヒーが結構好きという矛盾を抱えて。ブラックは強くてダメなのでカフェオレ。カフェオレならマウントレーニアがいいんだけど、量が多くてダメなので、缶コーヒー。BOSSのカフェオレが多いかも。

自分はカフェインに過敏に反応するほうで、コーヒー飲むと、とにかくトイレ行くし、焦燥感が出てくる。一気に摂りすぎるとソワソワしすぎて仕事にならなくなる。なのにカフェインを摂るのが癖になっているので、厄介。胃酸分泌も亢進させるから、胃を荒らすし。タバコほどじゃないけど依存してるのかも。

欧米ではカフェインに弱い人が多いため、カフェイン抜きのコーヒー、ディカフェ(decafe)がどこにでも置いてある。日本でも、ディカフェのマウントレーニアなり、ディカフェの缶コーヒーを売ってほしい。

今日もだけど、深夜の2時、3時に外に出てコーヒーを買いに行く。夏の夜に静まったつくばの住宅街をトボトボと歩くと、10年前につくばで学生をやっていた時を思い出す。住んでいる地区が違ったけど、一人暮らしをしていて、毎日同じようにコンビニに行ってはコーヒーを買っていた。その時を思い出して、今と重ねると、見ている世界が全く違うことを実感する。たぶんこのブログの昔の記事を掘れば出てくると思うけど、あの頃は自分の外にある世界に対してトンチンカンな期待をしていたし、人が如何に弱かったり、強かったり、死んだり生まれたりするかを、今よりは知らなかった。何より「自分はこれをすれば死んでいい」と自信を持って言えるものがなかったのが、今と大きく違う。

10年経って、家族ができて、とりあえずは家族を幸せにしないと死ねねーな、とか、コロッと死んでも当面子供が困らないぐらいカネ稼がないとな、とか、ある意味、自分を縛ってくれるものができた。人間、完全フリーよりも縛られたほうが楽だし、行動が明確になる。もちろん捨てたもの諦めたものも多い。要するに老化なんだけど、それでいい。

バブル期のツケを払うこれからの時代、いわゆる「普通の生活」をすることは、極めて難しくなる。
創業して見事に大成したり、誰もが知っている有名人になったりすることと同じぐらいに、平凡な日常を過ごすのが難しくなると思っている。
その覚悟で、尽きるまで臨む感じで、コーヒーを飲んでる。

タイムスリップしてきた

先週、娘と嫁を連れて実家に帰ってきた。
もはや実家に帰っててもヨチヨチ歩き出した娘が話題の中心となるし、嫁も何回も実家に来ているのですっかり家族感が出てきた。

そんな中、うちの母が、僕が高校まで使っていた部屋(いまも一応部屋だけはある)を、ステンドグラスづくりのアトリエにするとか言い出した。
ずいぶんと高尚な老後の趣味だことで大変結構なことなんだけど、それよりも、自分の部屋の整頓なんて突然言われても18歳?か19歳?から12年も時が止まった部屋をひっくり返すのがなかなか大変だった。

ファミコンのソフトはとりあえずプレミアがついていてちょっとしたお小遣いになるので売ることに。ゲーム機のハードは骨董品にしかならないので破棄。

大学の時に音楽の趣味でターンテーブルやらミキサーやらを買い込んだものがそのままホコリを被っていた。残念だけど次に音楽に講じる予定はまったく見えないのでハードオフ行きとした。

あとはVHSのビデオテープがいろいろあって、「大晦日だよドラえもん」を小学校のときからずっと撮りためたやつとか、ジブリだとか、高校のバンドのライブをビデオ撮影したようなものまであった。当時はドラえもんのビデオをレンタルするにもお金がかかるのでビデオテープが擦り切れるほど見ていたんだけれど、20年の時を経て僕は遂に大人になり、ドラえもんのDVDなぞ一瞬で買える財力を身につけることに成功した。小学生の俺よ、その心は受け取った。よってビデオテープはすべて処分。

次に出てきたのは、当時のパソコンに関連する本。はじめての9801だとか、MS-DOSプログラミングの本だとか、8086アセンブラだとか、到底小中学生が読む本じゃない本がたくさん。この変態的趣味のおかげで、僕はいま何とかメシを食っていけていると思うと、本当に子どもの頃の俺には頭が下がる。プログラムがどうしても上手く動かず、教えてくれる人なんているわけなくて、インターネットなんてない時代だから検索とかいう便利なものもなく、ただ泣きながら本の隅々をくまなく読んでたのでございます。今の僕は、その頃に相当する努力をしているかと言われれば、ちょっと自信がない気もする・・??いや、今もけっこう頑張ってるか。 …とか思いながら、現在では価値ゼロの本だらけなので、オール処分の判決。

そしてそして、最後に現れたのが、ゲームで言えば「禁断の箱」的な立ち位置の箱。中学とか高校のときの、色々な人と交わした手紙とか写真とかの類で、その当時苦しみ悩みぬいた人間ドラマが詰まっている箱。僕の人格形成の生々しい現場がそこには書かれていて、あまりにも悩んでいたため、時が経って客観的に冷めて読めるようになるまでしまっておこうと思っていたもの。けど、大学生になったぐらいで読み返しても全然ダメで、就職してからも振り返っても生々しいままで、12,3年が経って30歳になったこのタイミングでちらっと読んでも、やっぱり生々しかった。。。ぜんぜん客観的になれない不思議。若干、娘が出来て父親の立場になったことで、少しだけ違う視点で見れるようになったかもしれないけれど、それでも読み返すと高校生の時のどうしようもない感情になってくるから不思議。いつまでたっても高校のときの自分が居るらしい。すごいね。というわけで、これは捨てるわけには行かず、でも物理的な紙が寿命を迎えてボロボロで(授業宙に配られたわら半紙の裏とかに書かれていたりするw)、ぜんぶScanSnapでPDF化することに。ぜんぶスキャンしたら100ファイル近くあった。なんか、すごいよねIT社会。たぶん100年前なら物の寿命と共に思い出も消えることになっていたのに、IT化されたおかげで永遠に忘れられないっていう。恩恵なんだか功罪なんだか意味わからん。。。 そして物理的な思い出箱は長い時を経てシュレッダーとゴミ箱行き。

そんな感じで、すっかりタイムスリップしてた。
こうやって色々と振り返っていくと、子供の時からの延長に今の自分が確かにいるんだな~という気持ちになる。
そして同時に、もうノビノビと生きていこうという前向きな気持ちにもなる。
会社をやっていると、どうしても短期的で目の前の小さな事象に対して注力しがちになるんだけど、一個人として僕が縛られているのは30年越しの自分自身なわけで、そこらへんは見失わないようにしたい。
ポイントは、自分が持っている欲という欲はトコトン追及しまくって手に入れて、そして飽きて、何にも欲がわかなくなって、ただ穏やかにお茶をのんでツルツルの状態になりたい。
あとどのぐらいで到達できるんだろうな~。

娘とのツーショット

娘が機嫌すこぶるいいので、写真とってみた。

いやー・・・
娘よりも自分の老け加減にびっくりした。
だれだよお前って感じ。。。
なんかここ数年で急激に老け込んだ気がするよ俺。
だいじょぶか!?

もうすこし生活に余裕つくろう。。。

15年分のデータ

いま、過去15年分ぐらいのハードディスクの中身を整頓してるんだけど、
なんかもう脳が忘れ去ったことが大量に残ってて、やばいよこれ。
15年って膨大な時間なのかも。。。
要点要点だけをたどると、あっというまだけど、細かい文章だとか写真を見ると
ちゃんと1秒1秒がそこにあったんだなぁと実感する。
授業のレポート、論文、作ったソフトのソースコード、
合コンの写真、友達とのメッセのログ、毎日のメール…
15年前なんて一番人生で元気な時代のデータだから、ほんと、ひどい内容だわ。

そういう視点から今の自分を見たら、
なんかもっと生き急いで弾け飛ぶぐらいにハンドリングしても
いいんじゃないかという気になってきた。
いや忘れていたほうが幸せなのかも、という気もしなくもないけど。

そういえば、つくばに初めて住んだのが2000年だから、12年経つんだけど、
12年で、道路とか建物とか景色はそれほど変わってはいない。
つくばは結構街が大きく変わったほうだと思うけど、それでも変わってない。
よくよく見ると店がつぶれてたり看板が変わったりしてるけど。

じゃあ、10年とかの単位で時間がたったときに、一番変わりやすいのはなにか?
って考えたら、これはもう明白で、人。
人が10年たつと、何もかも変わっちゃう。
特に10代後半からの10年なんてのは、付き合う人も変わるし、
自分の性格もガラッと変わる。

だから、町の様子はほとんど同じなのに、自分の立場があまりにも当時と変わっていて
そこに一番の衝撃を受ける。
今から10年後は、また同じぐらい、変わっているんだと思う。
というより、変わっているようにしたい。。。

三十路

つい先日、三十路になった。
10年前、20歳になったときと言えば、大学生まっただ中。
あの時の自分と今の自分の差を考えると、本当に別人。
学生、転居、就職、転居、転居、転職、結婚、転居、独立、転居、出産と、まぁ、オンパレード。
同じように10年後,40歳の自分が、同じぐらいに変わっているのかなと、すごく楽しみ。
健康だけにはホント気を付けたい。

生後50日ぐらいの娘の様子:

なんというか、赤ん坊のくせに堂々とした顔つきになってきた。
全身に肉がついて、ブヨブヨ。
相変わらずギャーギャーと泣き、嫁は睡眠時間を削ってデスマーチ継続中。

昔の会社同期から大量のオムツとかもらって、本当に助かってます。