都会と地方の違い

土曜日、最初の会社時代の同期と飲みがあった。
自分はドライブと仕事の関係で車で行ったので飲まなかったけど。

そのうち1人は、大学時代からの、もう10年以上の付き合いなんだけど、
飲みの帰りにその友人を都内自宅まで送っていくことになり、車の中で久しぶりに色々と話をした。

バタバタと上司が鬱で退社していく。
取引先の外資IT企業の話を聞いていると、成果主義がすごくて、成果主義にも弊害もある。
日本人には成果主義は合わない。護送船団で沈む時も皆一緒。
世の中すべて政治だ。
政治をやっている人間の立場からすればITなんてのは政治の道具に過ぎない。
東京のサラリーマンは病気だ、みんなで亡霊を追いかけて、変だと思いながらも歩いてる。
サラリーマンで仮に年収が1000万になったとしてもそれは命の安売りだ。
結局はみんな小さいプライドから逃げられず動いてる。
仕事の内容なんかより人との出会いとつながりのほうが100倍も大切。

とかとか。
卒業して6年経って、長いのか短いのかわからんけど、ずいぶん年とったとった。。。
自分も周りも、人生折り返し地点に来た感ハンパない。

もう20代で持ってた夢は、ほとんど便所に流した。
いまは、家族と気の知れた仲間が、食うに困らず、ほんの少しの自由を持てるような、
そんな共同体を死ぬまでに作りたいっていう、けっこう明確な夢ができた。

夢っつーか、もはや夢でもなんでもなくて超現実そのものなんだけど。
政府も世間も信用ならんから、小さい小さいセーフティネット自分で作るか!みたいな。

それって、普通の村社会の発想だなぁ。

あー、、ちょっと答え出たかも

都会と地方の違い、そこにある力学というか支配の法則って
一体何がちがうんだろうと、ずっとずっと疑問におもってたんだけど

村社会こそ社会の基本単位で、
たぶんそれは人間がサルだったころから脈々と受け継がれている権力と群れの構造そのもので、
一方、都会っていうのは、人間がサルじゃなくなったことによって(武器とか科学とか)出来あがったもので、
村社会(サル的構造)の嫌なところにうんざりした人間が「何か幸せがあるに違いない」的あつまってできたもので、
たぶん、みんな漠然とした幸せを夢見てるところなんだと思う。

で、実際のところは、村社会も都会も、結局どっちもどっちなんだろうなぁ。
どっちで死ぬか、趣味だなぁ。

自分の裁量で仕事を切れる素晴らしさ

いやぁ、超絶バタバタ。。。

実は今月初めから、ちょっとヨメが風邪をこじらせて入院中。
もうかなり回復してて、あとは退院を待つだけなので大丈夫です。

本当に、いままで見えないものが見えた2週間だ。
元の生活に戻っても、今までとはさらに色々と考え方変わるかも。

ちなみに娘は僕と共に実家に戻り、祖父母が面倒を見てる。
僕は実家から片道1時間の車通勤の日々。

とにかく、やっぱり健康は一番。
健康がなくなると、それまで考えてきたこととか、本当に陳腐なものに見えて、
自分の見る世界観が一変する。

でも健康バカになってもしょうがなくて、
どうせ健康なんてどこかで損なわれるのは確かなんだから、
明日死んでも後悔しないように変なプライドをどんどん捨てる、
他人の言うことに影響されず、自分だけを信じてやりたいことだけをやる。
それが一番だなと、改めて確信した。

そして、自営業はこういうときに、ある意味、強いと思った。
自分の裁量で仕事を切ってリスクを取れる自由がある。もちろん収入下がるけど。
けど収入が下がることと嫁の健康なんて、天秤にかけるまでもなくて、
これが東京でサラリーマンやっていた頃に同じ事態になってたと思うと、ぎょっとする。
サラリーマンは裁量を持っているように見えて、実際はしがらみが多すぎて、
2週間の有給を取るなんてのはほぼ不可能。つまり、そもそも天秤にかけられない。
いや天秤にかける気になればかけられるんだけど、精神的にかけられない。
特に出世を狙えば狙うほどに、評価を下げるネタはもみ消したい考えが強くなるから、
稼げば稼ぐほど、稼げない事態をゴマかさないと、いられなくなる。
もちろん、出世に興味もたない選択をした人なら、2週間ぐらい取れるわけで、
ある意味その選択をした人は正解かもしれない。

肝心なのは選択の自由を持っているかどうかだ。
VCからカネ借りて雇われ社長はじめたら、自営業と言えども、
家庭の事情で勝手に仕事を切ったりはできないし。

あと、やっている事業の内容によっても変わってくる。
今やっている自営業のネタは、自社製品というか、
受託みたいな対面の商売じゃないので、緊急事態になっても単純作業をやれば
少額だけどお金が回っていく。
微々たる金額でも不労所得みたいなのがあるってのは、本当に心強い。

自営業をやっていて、そして親元に近い郊外にもどってきて、心底良かったと思った。

あとやっぱり、Web業界にいたころに必死になって頭を働かせて追い求めていた事、
例えば、世界を変えるアイディア・技術だとか、メディアへの露出だとか、
アメリカのシリコンバレーの動向だとかは、本当に墓穴だったんだなと、強く思う。
そもそもそれがサラリーマン思考だった。
心底、見の程を知らなかった、バカだったと思う。

自営業脳になりつつある今は、
とにかくWebでも不動産でも小売でも飲食店でも、
何でもいいから金を稼いで、一番自分に近い人間を幸せにして、
それでもカネがあまったら、もう一回り近い人間を幸せにして、
そういう考えで行くことだけを考えてる。

近々退院するので、妻と娘の3人生活が戻るのが楽しみ。

3年間お世話になった港区に転出届を提出

引っ越し作業自体は7日だけど、
とりあえず昨日6/30、港区役所に行って転出届を出してきた。

3年間お世話になった港区とも書類上はお別れ。
そして5年間の東京生活ともお別れ。

こじゃれた品川ベイエリアのIT企業勤めの港区デザイナーズマンションのアーバンライフを、
渾身の力を込めて、全力切り。

これで今日7/1に、5年ぶりに茨城県つくば市へ転入届を提出すれば、
ほのかな初夏の田んぼの匂いと小さい原付バイクと築20年の安っすい賃貸マンションに、
築50年のボロビルの小屋みたいな5坪の部屋にある従業員2名の零細企業。

待ちに待った瞬間が近い。
5年間延々とひたすらに昼夜問わず悩み続けてた事への答えが近い。
本当に、この日をどれだけ待ち望んだことか。
生き方を変えられる喜びがいったいどれだけ価値があるか。
ずっと水の中に潜っていて水面から顔をぷはーって出した感じ。
長かった、ほんとーに長かった!
あんまりにも嬉しくてたまんねぇ!!

サラリーマンおしまい。

というわけで5月31日が最終出社でした。
有給を消化して、6月30日付けで退職。
いろいろ祝ってもらった。
ありがたや、ありがたや。

6月に入ってからは、早速オフィスの準備に取り掛かってる。
カーペット剥がしたり、壁を掃除したり。
建物自体がボロいから壁がかなり古びた感じ。
ペンキを全塗りすれば悪くない感じなんだろうけど、予算的にも時間的にも厳しい。
うまく什器で目隠ししていく方向にする。

10日ぐらいで全て片付けて、早速仕事ができるようにしたい。
オフィス構築って楽しいけどまったく金にならないからやばい。

しかし・・・

5年間とちょっとのサラリーマン生活。
結局自分にゃ合わなかった・・・

朝起きて会社に無意味に行かなくても良いこの感じ、
真昼間から町の中を歩く感じ、
なんか学生んときみたいな感覚だ。
しかも別に楽しくはない。
「仕事しねーとなー」っていう感じ。
不思議だ、不思議すぎる。

飛びぬけた人を見ていると

天気が悪い。

金曜夜に,ノルウェー人の家にお呼ばれしてきた。
Microsoftに買収された某テクノロジー企業の創業メンバーで,株の売却益だけでも相当に相当な感じな人。
奥さんは日本人の綺麗な人でノルウェー語と英語ぺらぺら。
夕飯は和牛出てきた。
自分の5,6年後と同じ年。

いったい何がどうなってこうなったのか。
どういう経歴なのか聞いてたら,やっぱちょっと頭おかしい(ほめ言葉)。

ベンチャーは,面白そうだからやった。という理由しかなかった。たぶん,本当にそういう理由しかなったんだろと思う。ピュアに。

それどころか,自分で船を買って,自分で太陽光と風力の発電システムをくみ上げて,世界一周旅行してたら,ホンジュラスあたりでハリケーンにあってプロペラを破損しそうになって海に飛び込んで死にそうになったらしい。モルディブに住みながら自分で製品開発をして売ってたとか。今度は造船をやりたいらしい。

作り方は自分で勉強したのか,面倒だったり大変じゃなかったのか,と聞くと,「面倒だとか大変だとか思うのは,やりはじめると忘れる」とのこと。

そういう話を聞いたり,考え方を観察していたりすると,飛びぬけた人に共通するのは,躊躇が無いことに尽きる。

人間,普通は躊躇する。
自分も,サラリーマンやめて自分で会社作るってのも,躊躇してきたからここまで遅くなった。

そういう時は人間,自分に言い訳をして都合のよい理由を探して正当化する。景気が悪いから起業はしない,とか。よく聞くけど,景気に左右されるのは大企業で,一個人が食う経済規模なんて,景気なんて関係ない。都合のいい言い訳は,自分を一時的に騙せても,本当に自分がやりたいことは,自分自身で気がつかないけれど,心の奥底でいつまでもくすぶる。

心得その1 「面倒がるな,躊躇するな,いずれ行く道,覚悟を決めろ。」