車の買い替え

インフレと為替のトレンドや節税の関係もあって、車の買い替えを検討中。ちょうど10年前のPugeot 207CC → Audi TT coupe と来て、やはりここはクーペ縛りで検討しようかと。ただ、TTの足回りの堅さにはちょっと疲れることもあって、スポーツはもういいかなという反面、このタイミングでさらにゴリゴリの911乗ってみるのも冥土の土産に悪くないかなと思うし、このままTTからA5 coupeあたりに落ち着こうかとも考えたり。悩ましい。

40歳になるので、人生折り返しモード強めていく。利確するところは利確して、博打するところは博打していく。なりふりは、かまっていられない。死神は近づく一方なので、お行儀よくやるのもほどほどにしたい。

ダイエット2021シーズン開始

体重自体は数年前からほぼ変わってないんだけど、顔が丸くなったと言われることが増えた。アラフォーになると代謝も落ちてくるし、そろそろメンテしなければ。ということで5年振り?ぐらいに低意識ダイエット2021シーズン開始。

2016に試した糖質制限は無理だったし、目と鼻の先のジムに登録したものの、まったく運動も続かないことが判明しているため、今回は1日1,600kcalを目標としたカロリー制限のみでやっていきます。年末までに5kgぐらいしぼれればいいかな~って感じ。ダイエットというか単に食いすぎないようにするだけ、といったほうがいいかもしれない。自分にとってはそれが限界だろなぁ。。

学校に思うこと

学校と教育の仕組みが歪みを蓄積している。先生が疲弊して、親が疲弊して、子供が疲弊してる。大昔に設計された教育の制度・価値観と時代のギャップが蓄積されつづけ、滑稽としか思えないような状況に出くわすことも珍しくない。

この状況は政治力をもった誰かが号令をかけて大きく改革を掲げるでもない限り変わらないだろうし、そして現実的にはそれは望めないだろう。なぜなら、その制度によって生計を立てている人が多すぎるからで、改革を行えば別の犠牲が出るからだ。そしてそのリスクを負う政治家はいないだろう。つまり、現場当事者全員が犠牲になる状態が出口なく延々と続く。一見平穏に回っている現場も、結局”なんとかまわっている”時に成立しているように見えているだけだ。どこかの部品が欠ければ、加速度的に狂うだろう。コロナはそれを加速・露呈させた。このブログでぐらいしか言えないが、正直言って、子供たちのイノセンス以外に、絶望しかない。

現場の先生がこのことを一番分かっている。同時に、歪みを知りつつ変えられない中で悩みながら身を削って努力されている。だから先生を責めるつもりは一切ない。

すべてはこの国のいろいろ仕組みが寿命を迎えつつある中で起きている機能不全の一部だ。自分の娘2人が、そういった学校・社会に対してこれからどう向き合っていくのか、それに必要な力と、僕が用意してあげられる物や環境や体験はなんなのか、考えない日はない。娘たちが、たまにそういう教育の歪みに遭遇して疲弊する姿を見ると苦しい。

時にはこれまで常識とされていた価値観に反することが必要だと思っている。他人から僕が少し変わった親と見られるぐらいの犠牲で、子供の負担が減るのであれば、安いものだと思う。

30代の振り返りとか

この10年も無事、大変化だった。

10年前、30歳を前にしてサラリーマンと東京生活をやめ、自分で食うことを決意して、茨城に帰って、自分の仕事を作ったり、子育てを始めた。いや、選択したように書いてるけど、そんな余裕があるようなもんじゃなかったな。ほとんど逃げ出したようなもんだ。僕にはこの道しかなかった。この道を見つけられただけでも幸運だったと思う。そのまま東京に残っていたときに待っていた大企業での出世ゲームなり、東京アーバンライフみたいな夢の世界線と引き換えに、この世界線を手に入れた。

一番大きいのは、サラリーマン時代に僕を苦しめていた呪いみたいな世界観をほとんど消せたことだ。他人からの価値観におびえず自分の物差しで生きられるようになった。

僕は最近、いわゆるめんどくさいオヤジになってきたと思う。自分が若い頃に見ていた、例えばコンビニとかレストランとかでめんどくさいことを言ってくるオヤジ、あれになった。若い頃は、そういうオヤジをみて、「謙虚じゃねえなぁ」としか思わなかった。でも、今なら分かる。すべての他人から認められることをやめ、自分・家族・近しい人を優先して守るために、他の誰かを犠牲にすること。言い方を変えれば、嫌われることができるようになった。これは若い頃にはできなかったし、できるようになって人を見る目も変わった。世界の見方が180度変わった。社会全体的に物的・精神的な余裕がなくなっていくこれからの時代、とにかく近しい人を守っていこうと思う。