突然だけど、僕はここ10年ぐらいの間に、自分にASD(自閉スペクトラム症、アスペルガー症候群)の傾向がかなりあることを自覚した。もちろん精神科で診断してもらったわけじゃないのだけど、あまりにも当てはまるので、少なくともグレーなのは間違いないと思う。母親から聞いた自分の小さい頃のエピソードも、ASDっぽいそれだった。
アスペルガーと言えば、よくネットで「空気よめない」の偏見で揶揄の対象に晒されているけれど、実際にはそんな単純なものじゃなく、程度には相当の個人差もあって、生活に大きな支障をもっている方から、まったく気が付かれない人まで様々。いわゆる「ちょっと変わった人」と呼ばれる人たちの中に、グレーの人はいっぱいいると思う。たぶん、僕の性格を知ってる知人・友人は「あいつはたしかにちょっと変わってるところあるわ」と納得する人も多いと思う(笑)。
今では対処方法はだいたい身についた。たまに不自由というかハンデは感じるけれど、ここまで十分に生きてこれた。特に年をとってからは、昔みたいにガツガツすることにこだわりもなくなってきて、できる限りの社会性を持つことを心掛けていけるようになった(気がする)。またアスペルガーならではの空気を読まない大胆な選択してそれが成功や自信に寄与した部分も多い。だから「まぁしょうがねぇか」と思ってる。この記事も、深刻に悩んでるっていう話じゃないのでご安心を。それよりも、一歩間違えば、偏見や差別の対象として見られるかもしれない事を、こうやって公にカミングアウトしても別にいいやと思えるようになったのは、自分の大きな成長として受け止めてる。
自分がASDかもしれないと自覚してよかった事は沢山ある。その一つに、自分の人間関係の中にASDっぽいと思える人がいることに気が付くようになったこと。ASDだけじゃなく、ADHDっぽい人もかなり身の回りにいる。それもそのはずで、統計ではASDの有病率は1%以上で、ADHDはもっと多い。だから対人関係についても「この人はASDっぽい傾向あるからこうやって接したほうがスムーズかもしれない」とか、柔軟に考えられるようになった。もちろんセンシティブなことなので当人にASDやADHDっぽさのことを言うことはないのだけど、人間関係をスムーズに進められる一助になるとすごく感じてる。よく「他者を認めるためには、まず自分を認めること」と言われるけれど、自分の傾向を受け入れたからこそ他人も受け入れやすくなった。
以下は、アスペルガーの世界に興味がある人は読んでみてください。
感情や空気を読むセンサーがデフォルトOFF
よく「アスペは相手の気持ちがわからない」と言われるけど、僕個人については、これは誤解のある表現だと思う。
僕の場合は、雰囲気や相手の感情を読み取ろうと意識的に集中すればできる(むしろ、相手の心理状態を見抜く事自体は、人より得意だと思ってるぐらい)。だけど、逆にそう意識していないと、自然にはできない。普通の人は相手の気持ちを読むのは無意識に・自然にやってることだと思うけど、デフォルトではできない。言い換えれば、感情読み取りセンサーを自由にON/OFFできるとも言える。
だから、上司を接待するシーンだったり、スタッフの面接で相手の人柄を測るシーンだったり、好きな女の子の表情から腹のさぐりあいをするようなシーンでは、明らかに空気センサーが必要なことがわかってるのでセンサーONにして臨む。なので、いままでそれほど問題なくやれてきたと思う(完璧とは言えないけど)。
逆に、気の知れた仲間との飲み会や雑談でリラックスしてる時とか、気が緩むと意図せず空気センサーがOFFになるので、一方的に勝手に話をしたり考えられないような失礼なことを言ったりしてしまう。空気が凍ってから「あ、しまったOFFになってた💦」と気が付く。
変な言い方だけど、”僕自身”はそんなつもりはないのに、”僕のボディ”が勝手にセンサーの電源をOFFにしてしまう。いや、センサーの管理責任は僕にあるから、僕の責任なのはわかってる。けど、みんな無意識に空気読んでるのはマジすごいと思う。
だいたいのシーンでこれはハンデになるんだけど、すごく例外的なシーンで意外な武器になったりする。例えば、相手の気持ちが怖くて一歩を踏み出せないシーン。激怒されることがわかっていてもすぐに謝ったほうが良いビジネスの場で、意図的に鈍感モードにして、率先して怒られたり謝ることができたりする。大胆な行動をしたとき、知人から「よくそんなことできるな」とか言われたりするのも、裏を返せば、わざと空気を読まないようにできるからだったりする。
言葉の解釈にあいまい性があると疲れる
もうひとつの症状は、あいまいな依頼や説明を受けたとき、普通の人ならパッとだいたいの意味をとらえるのに対して、尋常じゃないエネルギーを使ってしまい、疲れたりイラついたりする。よく「アスペはあいまいな表現が理解できない」とか言われるけど、ぼくにとってはちょっと正確な表現じゃない。理解できずに生活に支障が出るとかではなく、理解するのにエネルギーを使う。とにかく、かんたんなことを深く考えすぎる。
これは夫婦喧嘩の典型的な火種パターンでもあるから、実例で説明したほうがわかりやすいと思う。
たとえば嫁が、麦茶を出すためにお湯をわかしているときに「ごめん手が離せなくて。お湯、見てきてもらっていい?」と言ってきたとする。普通の人なら、これは「お湯(が沸いているかどうか)見てきて(もし沸いていたら火をとめてお茶パックを入れてきて)もらってもいい?」と翻訳するのにストレスがないと思う。けど、僕にとっては、この手シーンは結構な地獄で、頭が勝手にぐるぐる回りだす。こんな感じで:
「お、お湯? ってなんの話だ? 気を抜いてたから周りの状況わからんぞ。いったん整理しよう。いま嫁とお湯に関連することはなんだ? あ、さっきお茶を飲むためにお湯を沸かしてたわ! それだわ、絶対それ。そのほかの可能性はあるか? 一応検討しておくと…うん、特にないな。大丈夫そう。で、お湯を”見て”くる、ってのはどういうことだ? 単に眺めてこいっていう意味だとすると、嫁が僕に依頼する理由がない。ほかに意味は? あ、お湯が沸いているのを目で”見て”確認してほしいっていう意味で”見て”って言ってるのか。いやまてよ、確認だけじゃないかもしれん。お茶を作りたいならお湯が沸いてたら確認するだけじゃなくて火を止めるところまでが目的か? いや、さらにはパックまで入れてほしいかどうかまで可能性あるぞ。でもパックを入れるタイミングにこだわりがあって自分で制御したい状況かもしれないから僕がパックをいれることを期待していないかもしれない。いったい、どんな意図なんだ? 一度返答して確認する必要があるな 」
さすがにこの例はちょっと誇張してるけど、実際、普通の人にとっては”考えすぎ”レベルのこと考えてると思う。ほぼ起こりえないような細かい状況まで考えてしまう。もちろん僕自身もなんでそこまで思考が止まらないのか理解できない。とにかく一瞬でストレスなく言葉の意図をとらえるのがマジ無理なのだ。普通の人なら70%ぐらいの精度で意図を捉えて会話をすすめるところを、言われた内容から100%厳密な解釈を求めて捉えようとしてしまう。
そしてこれは、疲れてない時はいいけど、疲れてるときに言われると喧嘩のもとになる。「え? なに、お湯が沸いてたら火をとめてくればいいっていうこと? それとも火止めるだけじゃなくて、お茶パック入れてきてってこと?💢💢💢 (疲れてんのに頭使わせないでくれ)」という回答になる。嫁からすれば「お茶飲むんだからパックまで入れてくれてほしいに決まってるじゃん、そんなことで何怒ってんの??💢」となる。
この手の喧嘩は、ASDの自覚できてから、かなり楽になった。あいまいな言葉や説明にイライラすること自体は避けられないけど、「イラッ! ASDパターンきたこれ!」と客観的な状況を把握できるようになって、少しはコントロールできるようになった。
夫婦ならまだなんとかなるけれど、これで一番苦労したのはサラリーマン時代。たとえば会議で「〇〇さん、全体的なコメントお願いします」は最悪で「全体的ってなんだよ。。。」となる。上司から「〇〇の件、どう?」とか言われるとめちゃくちゃイラッとしてしまう。「どう?」を解釈するコストを受け手に丸投げするのは、自分に喧嘩を売ってるのかと思うときもあった。でも、ASDを知ってからは、普通のひとならそういう会話にストレスを感じないと知った。ストレスを感じないのだから、そういう質問に悪意がないこともわかった。ほんと、自分の理解と他人の理解は、人生スムーズになるよ。
一方でこの特徴は自分の強みでもある。あいまいな状況を考えつくすための会議みたいなのは得意だし、必要な設計やリソースやタスクの洗い出しは朝飯前、プログラミングでもあいまいなエラーを受け取って細かい原因を推定するのも同じ。また、クリエイティブな発想をする目的でわざとあいまいなテーマを会議する時には、他人では考え及びにくい斜め上の思考・発想・指摘をするのも仕事とあらば苦にならない。というか、あいまいなことに対して頭をフル回転させて厳密に解釈するのは日常から「お湯を見てきて」のレベルでやってることなので、気合を入れることなくサラサラとできる。この特徴には、いままでずいぶん助けられた。
その他の生活での不自由
とにかく、「部分と全体」を短い時間でサクッと捉えることができず、脳をフル回転させないといけない。
運動。マジでできない。これがASDの関連だったことは、もっともっと早く自覚できれば、どんなに楽だったかなと思う。運動ができないのは、コンプレックスの塊だった。小さいころから運動ができないことには自覚があった。母親からは、赤ちゃんの時に歩き始めの時期が極端に他の子よりも遅かった話も聞いていた。
特にできないのは、細かい運動を全体に統合する系の動き。たとえばサッカーのボールをゴールに向かって蹴るのは、無意識にできる人には一瞬でも、僕にとっては「まずボールにあわせて自分の位置を合わせ、蹴りたい方向を確認、必要な蹴る力を予想し、足を後ろに振り上げて、蹴りたい方向に合わせて足の先を当てる」と、順番を追わないとできない。しかも、チームの状況や戦略まで同時に処理するのはマジ無理ゲー。逆に、単純な動作はok。なわとびとかサイクリングとか。
麻雀。サイコロ2個振って目の数を足すんだけど、僕だけ合計値を認識するのが他の人と比べて明らかにワンテンポ遅い。点数棒を数えて読み上げる時には、僕は他の人だいたい3倍ぐらい時間かかる。だから麻雀仲間には「目でみたものを数えたりするのすごく苦手で遅いのですんません」と言ってある。自分の弱いところを出せなかった時にはそれができなかった。出したら本当に楽になった。
格闘ゲーム。スマブラ。自分は全国ランキング上位5%に入ってるので、1対1の対人心理戦は人よりも得意なほうだと思う。読もうとすれば人の気持ちは読める。それが、3人以上の乱闘になると、衝撃的に弱くなる。たぶん、1vs1だと見る部分が自分と相手の関係1つなのに対して、3人以上だと複数の関係をリアルタイムで捉えないといけないからだと思う。