教育者

大人になってから、いわゆるガチガチの教育者という人にこれまで面と向かってコミュニケーションをしたことがなかったのだけど、先日とある事情で、長く教育に携わってこられた重鎮の先生と、学校について深く意見交換する機会があった。そして久しぶりにとても新鮮な気持ちになった。

僕は20年以上も商人・ビジネスの世界で生きてきた。だから、コミュニケーションベースが自然にそっちになっている。カネや地位がほしくて仕方ない欲深い人間を日常的に目にするから、世の中のほとんどの人がそういう人に見えてくる。政治家・役人とよばれる人たちも、どちらかといえば商人の感覚でも理解できる部分がある。票や評判で動く部分が大きいし、集合体としての規律だとか規範だとか歴史や礼儀を重んじる方々なのだけれど、カネと政治で話がまとまるところは商人にも通じる。

それに対して、教育者、教育の世界は、僕にはまったくの異世界に感じた。人間だからもちろん欲も政治もカネもあるのだろうけれど、それより遥かに大きい、理念だとか信念だとか使命感のかたまりのような空気がその世界を動かしているのを感じた。正直なところ、宗教によっぽど近い空気だった。いや、悪い意味ではなくですよ。あまりにも衝撃だったので、Amazonで「学習指導要領」を買ってしまった。ほんとに。

子供の頃、僕は学校がほんとうに嫌いだった。自由が抑圧される場所だったし、先生は敵だった。いまでも学校と聞くと反射的にウッとなる。でも今回いろいろ話をして、子供の頃の自分に「先生は敵じゃねえんだわ、おまえの敵はもっとでっけえんだわ」と言ってあげたくなった。先生も、学習指導要領も、敵でもなんでもないんだわ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.