深夜2時だけど、窓を開け放っていても気温が気持ちいい。
昼間は30度超えて、もう暑い。
土曜日、家族4人で電車に乗って上野でやっている恐竜博2016に行ってきた。
というのも、上の子が突然恐竜に目覚めたらしく、
図鑑を買ってあげたらそれなりに見ているので、
それじゃあ現物のデカさを教えてやろうということに。
ティラノサウルスの骨を見てそれなのに楽しんでいる様子。
自分も、こういうの見るのはいつぶりだろう。
何十年ぶりな気がする。
本当にこういう動物がいた時代があったんだなと思うと不思議だ。
恐竜からすれば、自分の骨が6500万年後にネズミの末裔共の見せ物にされているわけだ。
必然と偶然がわからなくなってくる。
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実に17,8年ぐらいぶりに上野公園を歩いた。
最後に来たのは覚えている。高校2年生の時だ。
どこに座ったのかも覚えていた。
やっぱり風景はそれほど変わらない。
石やら木やらは、10年20年では、そう変わらない。
10年20年ですっかり変わってしまうのは人のほうだ。
その当時のまま残っている人なんて誰もいない。
みんなの頭の記憶にはそれぞれわずかに残ってはいるけれど、
誰もその時代が何だったのかわからないままだ。
こじつけては現在の飯のタネやら酒のツマミにしているぐらい。
世の中の有象無象の出来事の一つというロジックはもちろん理解はできる。
けど、自分にとっては、有象無象は話で聞いただけで、
やっぱり唯一知っているのは、ただひとつの自分の体験したことだけだからなぁ。
悔いなく生きたいと思うけれど、悔いなく生きるなんてそもそも無理だし、
何をすべきだろうなぁ、と今日もひたすらに自問しつづける日々でございます。