セカンドカー

この秋の車検で、自分の車が7年落ちになるので、こちらもエイヤッと買い替えることに。

現車はプジョーの207cc。プジョーにはいろいろと思い入れもあるので、RCZを生産継続していればそのまま決定だった。が、もはやプジョーはカブリオレもクーペも、作らなくなってしまった。残念。まぁ日本市場はもはや縮小する一方だし、クーペやカブリオレなんて売れない車作る暇があったらSUV作ったほうがいいわけだよね。プジョーに限らず、フォードは撤退しちゃうし、輸入車はドイツ車以外は相当難しくなっていくかなと。

そんなわれけで、新しい車を選定することに。もちろんクーペ縛り。

で、まず国産クーペは全滅。もともとスポーティさには興味ないというか、リアルにスポーツが苦手な僕にとっては気が引ける感じで、国産だとRX-8とかフェアレディZとか86とかバリバリのスポーツカー路線になるので、ちょっと違う。するとドイツ車で残るのは、BMWの4シリーズクーペか、audi TTもしくはメルセデスのCクラスクーペあたり。

まずBMWは、コンセプトが「駆け抜ける喜び」なのだけれど、そもそも駆け抜ける機会があまりない僕には違うなと思っていた。そんな中、4シリを調べてみるとやっぱり内装がちょっと厳しい感じ。

[BMW 4シリーズクーペ]

っていうか、この動画のドリンクホルダー見て、もう僕はだめだった。

するとaudiのTTかメルセデスのCクラスクーペ。ということで、試乗してきた。

結論から言うと、アウディもいいけど、ベンツやばい。

いやTTカッコイイし、洒落てるんだけど、かなり気になったのはバーチャルディスプレイ。スピードメータもナビもすべてコンソールに収めるというやつ。僕がテクノロジー業界なのもあるけれど、UIをすべてデジタルにすべて寄せる方針は、ちょっと受け入れがたかった。たぶん5年もしたらUI陳腐化して、ものすごく古めかしくなるんじゃないかなと。それに、ナビやら音楽プレーヤーがドライバーしか使えないのは痛い。さらに、僕はナビとしてスマホでGoogle Mapを使うのが一番いいと信じ切っているので、どうせ備え付けのナビは使わない。

一方、初のベンツ試乗だったけれど、Cクラスクーペはやばかった。同じ値段の車で、ここまでデザインがキッチリしている車ないと思う。ベンツと言うと、オッサン臭いイメージだったけれど、嫌らしい感じもまったくしない、洗練されたデザイン。もちろんデザインについては好みの問題なので、好きか嫌いかは分かれることはあると思う。けれど、決して「手抜きだ」とは言われないと思う。207ccを選んだのは、ある日の夜ドライブしていたら、夜に目の前浮かんだ207ccのリアの雰囲気がキレイだったからなんだけど、Cクラスクーペのリアも方向性は違えど綺麗だった。

走ってみた感じでは、試乗コースが街乗りコースだし、特にアウディTTもメルセデスCクラスも問題ない感じ。 ちと予想よりは硬い感じではあった。 ttはスポーツ指向だろうからいいと思うんだけど、Cクラスのほうはもう少し柔らかくてもいいかなと。路面が荒れているとゴツゴツする感じで、ちと今の207ccの雰囲気に近い感じだった。18インチだからかな??

というわけで、Cクラスクーペ優勢。
お高いので、ディーラー保証付きの中古を狙うことになりそう。。。

あと、実家に帰った時にオヤジに車の買い替えの話をしたら、ベンツはイメージ悪くて偏見の元になるからやめとけ、というお達しが。確かにそれはわかる。特に年配の人のベンツのイメージは、趣味悪い、金色の腕時計のイメージなのかもしれない。(といってもCクラスだし、今のCクラスのイメージはオラオラしてるものではないんだけど) でも、乗りたかった車を街中で見かけるたびに、自分を信じなかったことを天秤にかけることになる。何度も何度も。その後悔は、たぶんベンツに乗る偏見よりもずっと重い事を知っている。

言えば、ベンツも、僻みも、妬みも、陰口も、後ろ指も、フィクションだ。興味がない。興味があるのは、その先にあるものだ。その前では、成功も失敗もフィクションにしかならない。他人からは合理性も常識もないように見える。他人から惨めに思われたり笑われたり揶揄されたり気にされなかったりして、特に何の意味もなく死ぬ。それを受け入れることと引き換えに手に入れるこれは、まさに悪魔からもらったリンゴだね。

武器を設計する人の気持ち?

世界はカネ余りだ。いつか大きな調整局面がくるだろうと思っている人が多いし、実際、僕もそうなるだろうと賭けている。

円もドルも金も本来の価値をはるかに超えた信用を抱えている。バブル。細かい通貨に分散投資したところで、ドルペッグよろしく、あらゆるものがペッグしているので、本質的な分散にはなっていない。株やら不動産やら投資信託も巨視的にはペッグしている。膨らめるところまで膨らむよね。フロンティアを食いつくすまでは。

で、フロンティアが無くなると起きるのが、富裕層同士の戦い・蹴り落し合いだ。バブルが破綻したときに、もっとも割を食うのは「頑張って生活費以上を貯金している人」になる。すべてをデザインするピラミッドの再頂点には、調整済みの膨大な資産が残る。一方、ダラダラとその日を浪費している人にはバブルがはじけたところで影響がない。例えば、預金封鎖を例にとれば、預金封鎖を実行する人は事前に資産を逃がせるし、預金を持たない人には影響がない。つまり、それ以外の、頑張って真面目に働いている、いわゆる「普通の人」が、そうでない人の過去の膨大な信用・負債をすべて引き受ける構図になるしかない。

自分は何のために仕事してるのかなぁとふと考えてたら、やっぱり、家族や友人ほか、世話になった人に恩返しがしたいんだろうなぁと。大して役に立たないシェルターかもしれんけど、小さくても防壁をコツコツ作ってる感はやりがいになっているかもしれない。「あんたがいて助かったわ~」と言ってもらえる日に、やっと達成なのかも、とか思ったり。

でも、破綻が起きてほしいような起きて欲しくないような、複雑な気持ちになる。
たとえば、武器を設計してる人は、こういう気持ちになるのかもしれない…?

本日、はじめてセミの鳴動確認。

いい季節が来る!

1000万、1億、10億、100億、1000億

会社をやっている立場上、生活費とは別の感覚でお金を動かすことが日常的にある。500万とか1000万とか。
僕はサラリーマンもしばらくやっていたので、1000万の重みをよく知っている。
普通に生活していれば何年か過ごせる金額だし、貯めるにも相当の覚悟と時間が必要だ。

でも、立場が変われば、1000万円がジョークにしかならない事もある。
社会人が小学生に100円をあげる感覚にも満たない。
なんなら1億円だって、例えばベンチャー投資の軍資金なら、「え、1億だけですか」になりえる。

僕の会社は本当に零細だ。
それでも、1億円で何ができて、何ができないかぐらいはわかる。
1億円渡されればすぐに目標に向けて最適なカードを切れる自信がある。
これが10億になると、切るカードに少し自信が出ない。カードは切れるけれど、それが本当に最適かどうかは分からない。
100億は、まったく分からない。分からない上に、少なくとも1億と同じカードの切り方を100回やってはいけないのだろうということだけは確信している。
1000億は群体としてのヒトをコントロールするためのメタな行動、つまり、政治にしかならない、という感覚だけがある。

逆に言えば、10億円という金額のオーダ付近で、「闘う土俵が別になる」という感覚がある。
僕がサラリーマンだった時に1億の使い方がわからなかったのと同じように、おそらく10億付近に地平線があるのだと信じている。
その先はそこに到達しなければ、見ることができないはずだ。

ツアーでその地平線に連れて行ってもらうことはできるだろう。
他人の資本をぶち込みまくって、他人のデザインに自身を委ねれば。
でも僕はバックパッカーとしてそこに行きたい。
それが僕の縛りゲーだ。

納車

きたよ きたよ! 新型セレナ

娘たちも喜んでる

そうであろう そうであろう

お父さん頑張ったぜほんと…

とりあえず深夜の国道6号をつくばから取手あたりまで流してみた
いつになっても、夜に一人でダラダラ運転するのはいいわ

セレナ

いつのまにかGWも終わってるという。

先日、遂にファミリーカー購入。
王道ど真ん中ストレートのセレナ。
ミニバン楽しみだわほんと。

そして、10万km乗り潰したフィットはこれにてお役御免。
もちろん下取り価格は0円。それだけがんばって乗り潰したということで。

この夏は子連れでアウトドアデビューする。