運命共同体か、老人の罠か

ただいまー。ビール&ご飯中。あー疲れた。こんな生活を始めてかれこれ一年が経つわけです。だんだん春の兆しが感じられるようになってきました。ちょうど一年前と言えば、旅行先で生ガキを食って救急車で搬送されていた頃でしょうかね。。。

人間っつーのは実に思い込みが激しいもんです。今こうやって会社に行って帰って寝て、という繰り返しがこの世の全てだと思ってしまう。なんてまぁ単純なんだろうねぇ。。。小さい頃から「こうするんだ」「ああしろ」「こうやれ」と言われてきて、いつのまにか、他人の指示に自分の生き方を全部委ねてしまえばとても楽チンなんだと気が付く。ブーブー文句を垂れながらも、上司が指示することをやって、月末になれば銀行口座に金が入る。その金で食ったり飲んだり遊んだりする。とっても楽だ。

そこで疑問が沸く。この生活は一体どういう仕組みでまわってるんだろう?

考え方は2つある。

一つは、この生活はみんなで豊かになるための仕組みに組み込まれたという考え。一人ひとりが働いて、税金を払って、富の分配をして、幸せの分配をして、死ぬリスクを分散してる。国ってやつか。

もう一つは、老人たちのゲームに巻き込まれたという考え。金を持つ老人達が、それなりの幸せを感じられる最低限ギリギリの金を与えながら俺達を働かせて、俺達の日々の消費活動から金を巻き上げてる。少しずつ少しずつ、気が付かないように。

答えはどっちでもいい。ただ、学生じゃなくなって実感したこの大きな仕組みの真相を突き止めたくなった。まずこういう生活をしたんだから、次には、この大きな仕組みを違う立ち位置から実感してみたい。そしたら、なんか、楽しそうだ。

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