インフレの足音

※先に断りますが, この考えは私個人のもので, その真偽についてもまったく保証されませんし, この記事を読んで何か行動をされた場合についても, 私は一切責任を負いませんのでご理解ください。

コロナ自体も心配なことだけど、ここにきてコロナの影響で金融危機の兆候が出てきた。世界中で株価が歴史上稀な勢いで暴落してる。もちろん株に投資していない人には暴落の影響はない。ただ、気になることは3つ。

(1)混乱を食い止めるために世界各国が兆円単位で赤字国債を発行しはじめたこと。
(2)都市封鎖ほかの影響から物資が不足する可能性がでてきたこと。
(3)円安になってきていること。

この状況はほとんど戦争中の経済だ。戦争の経済の帰結は激しいインフレだということは歴史が証明している。アベノミクス以後の長期にわたる金融緩和でたたでさえ資金がダブついていたところに, 供給が細るきっかけが生まれたらどうなるか. また輸入材料費の高騰がおきたらどうなるか。

日本ではインフレの恐ろしさを実体験した人はもうほとんど生きていない。僕も小さなころに100円の缶ジュースが120円になったぐらいしか記憶にない。デフレに慣れ切ったから、モノの値段が延々と上がっていくかもしれないという発想自体が失われて久しい。この状態で、まるでトイレットペーパーがなくなるという噂のように、人々の間で「物の値段が上がるらしいよ」と噂が広まったらどうなるか。

もともと金融が不安定になりそうな兆候があったので、僕は去年の夏頃から貯蓄のインフレヘッジを始めた。まさかコロナウイルスでこんな状態になるとは思わなかったけれど、これからはペースを早めて日本円預金以外に分散していこうと思う。

「この国はヤバい」

ここ最近、政治をよくウォッチするようになって気が付いたんだけど、いわゆるネトウヨって呼ばれる人たちもそうでない人たちも、特におっさんになると国や歴史政治の話ばかりするのは、セカイ系コンテンツとして消費してる側面があるんだなと気が付いた。べつにそれが悪いというわけじゃなくて、単に、昔から年を取ると政治・歴史・思想に興味持つ人が増えるように見えるのはなんでだろうと不思議だったから、自分がオッサンになってなるほどそういうことかという感じ。

先日、参院選をやっていたとき、長女に選挙ついて聞かれて説明した。まず「国っていうのがあるんだけどさ」から。

何度も言うけれど、政治や国や歴史や思想はすべては想像上のものであって、フィクション・神話・共同幻想・思い込みだ。触れないし匂いもないし音もしない。他人から「国っていうものがあるんだよ」と教えられ、それを信じて行動しているから実体があるように錯覚しているだけで、つまり洗脳そのものだ。もちろんこの洗脳は基本悪いものじゃない。なるべく生き残れるように淘汰された結果に獲得された、僕たち人間の基本的な習性であって、みんなで力を合わせて生きるための智慧だ。でももし、その洗脳が悪い方向に向かうとどうなるか。

僕が憂うのは、自分の身近な幸せよりも国や政治のほうに目を向けていく人が増えてることだ。個人の満たされない思いを国に重ねれば重ねるほど、つまり戦争に近づく。カルト宗教とまったく同じ構造だ。今回の参院選の某党を見ていると急速に変化しているように感じる。

たぶん、次の選挙やそのさらに次の選挙には「この国はマジでヤバいかもしれない」が広まるだろう。そして延々と低下してきた投票率が底打ちして反転上昇を始めると思う。そうでもしないとヤバいとみんなが思い始めるから。すると一気に国民が割れる。そこが転換点だ。

僕は自分の身近な幸せを守るためにひたすらに頑張ろうと思う。身近・日常を失えば、暴徒化した社会の一員として洗脳され、個を見失うことになるじゃないかと危機感を感じるからだ。

抑圧と幸せ

スーダン政府を転覆させた軍人と民衆が歓喜して銃を空に向けて撃ちながら踊る動画を見かけた。

必死になれること、打ち込めること、夢中になれること、自分自身の存在を賭けて戦えること、運命を共にする仲間と時間を共にすること、が映っていたように見えた。動画に映る人たちは本当にうれしそうだった。

制約が創造性を生むように 、抑圧が喜びを作る皮肉。

芸術家フィル・ハンセンの「限界は創造性の源である」という話のエピソードが胸に刺さりすぎる「クリエイターの精神力はすごい」
https://togetter.com/li/1218295

だとしたら、僕たちが囚われてるのは、暴君じゃなくて、「抑圧が幸せ作るという仕組みそのもの」なはずなんだけど、一方で僕たちが種として生き残ってきたのは、その仕組みを獲得したからこそなんだよね。

その設計に、美しさ感じる。ほんと、アートだなぁ。

空気の変化

アラフォーになったのか、時代のせいなのか、周辺の疲弊がうかがえるようになってきた。
特にFacebookやらTwitterやらインスタやらメディアを見てるとそう感じる。
空気の変化ってやつ。
つい先日も、Facebookで一応名刺交換がわりにつながっていた薄~い知り合いの「これが最後のコーヒー。」という投稿。
有象無象の美味そうなメシの写真やら旅行の写真やら御託やら無味無臭の分析の合間に、リアルな投稿が挟み込まれる。

僕はたまに「逃げたい」「辞めたい」みたいな単語でTwitterを検索してる。
普段自分から見えている範囲のものなんて、無意識に自分がフィルタした、都合の悪いものにフタをしてきたものだからね。
フタをするのは人間だから仕方ないんだけど、自分がどんなフタをしてるのかぐらいは、確認しておきたい。

国が右肩下がりの中で、個々の人々の表に出ない疲弊が溜まってる。
今でこそ、この状況だから、あと5年もすれば、悪い意味で、景色はガラッと変わってるだろう。
多分、俺たちの世代は長い夢から醒めることになるんだろな。