「けものフレンズ」全話みた

なんでこんなに流行ってるのか知りたくて「けものフレンズ」全話みた。
作品自体はほんと控え目に言って何が面白いのかわからなかったんだけど、でもネットでは、流行ってる、とされている。
作品自体はあくまで普通、という前提を動かさなければ、たぶん「けもフレが流行っている」という言葉が、僕の中の「流行っている」の基準と違ってるから、僕は違和感を感じるのだと思う。

いまのSNSの時代、みんなが同じ「流行ってる」という言葉を使うのだけれど、実はその規模が、人ごとにものすごく違っているのに、その違いが解釈されずにバズを起こしているのかもしれない。

100人ぐらいの濃いコミュニティ内で「流行ってる」という声を上げると、それを外から見た人が、自分のコミュニティの中で流行っていると勘違いして、作品を見てみる。すると一部の人はその作品に共感して「流行っている」と言う。それを聞いた別のコミュニティの人が…と、後は連鎖反応。そうして「流行ってる」という言葉が、規模が隠されて連鎖反応的にそれぞれの人の中の「流行っている」の基準によって解釈されて伝播していく。

そんな感じ。

少人数でもいいからまず「これすごい」「流行ってる」を言ってもらえるコアな人を掴んでネットでそう言ってもらう。
それがすごく重要なのかもしれない。

武器を設計する人の気持ち?

世界はカネ余りだ。いつか大きな調整局面がくるだろうと思っている人が多いし、実際、僕もそうなるだろうと賭けている。

円もドルも金も本来の価値をはるかに超えた信用を抱えている。バブル。細かい通貨に分散投資したところで、ドルペッグよろしく、あらゆるものがペッグしているので、本質的な分散にはなっていない。株やら不動産やら投資信託も巨視的にはペッグしている。膨らめるところまで膨らむよね。フロンティアを食いつくすまでは。

で、フロンティアが無くなると起きるのが、富裕層同士の戦い・蹴り落し合いだ。バブルが破綻したときに、もっとも割を食うのは「頑張って生活費以上を貯金している人」になる。すべてをデザインするピラミッドの再頂点には、調整済みの膨大な資産が残る。一方、ダラダラとその日を浪費している人にはバブルがはじけたところで影響がない。例えば、預金封鎖を例にとれば、預金封鎖を実行する人は事前に資産を逃がせるし、預金を持たない人には影響がない。つまり、それ以外の、頑張って真面目に働いている、いわゆる「普通の人」が、そうでない人の過去の膨大な信用・負債をすべて引き受ける構図になるしかない。

自分は何のために仕事してるのかなぁとふと考えてたら、やっぱり、家族や友人ほか、世話になった人に恩返しがしたいんだろうなぁと。大して役に立たないシェルターかもしれんけど、小さくても防壁をコツコツ作ってる感はやりがいになっているかもしれない。「あんたがいて助かったわ~」と言ってもらえる日に、やっと達成なのかも、とか思ったり。

でも、破綻が起きてほしいような起きて欲しくないような、複雑な気持ちになる。
たとえば、武器を設計してる人は、こういう気持ちになるのかもしれない…?

本日、はじめてセミの鳴動確認。

いい季節が来る!

1000万、1億、10億、100億、1000億

会社をやっている立場上、生活費とは別の感覚でお金を動かすことが日常的にある。500万とか1000万とか。
僕はサラリーマンもしばらくやっていたので、1000万の重みをよく知っている。
普通に生活していれば何年か過ごせる金額だし、貯めるにも相当の覚悟と時間が必要だ。

でも、立場が変われば、1000万円がジョークにしかならない事もある。
社会人が小学生に100円をあげる感覚にも満たない。
なんなら1億円だって、例えばベンチャー投資の軍資金なら、「え、1億だけですか」になりえる。

僕の会社は本当に零細だ。
それでも、1億円で何ができて、何ができないかぐらいはわかる。
1億円渡されればすぐに目標に向けて最適なカードを切れる自信がある。
これが10億になると、切るカードに少し自信が出ない。カードは切れるけれど、それが本当に最適かどうかは分からない。
100億は、まったく分からない。分からない上に、少なくとも1億と同じカードの切り方を100回やってはいけないのだろうということだけは確信している。
1000億は群体としてのヒトをコントロールするためのメタな行動、つまり、政治にしかならない、という感覚だけがある。

逆に言えば、10億円という金額のオーダ付近で、「闘う土俵が別になる」という感覚がある。
僕がサラリーマンだった時に1億の使い方がわからなかったのと同じように、おそらく10億付近に地平線があるのだと信じている。
その先はそこに到達しなければ、見ることができないはずだ。

ツアーでその地平線に連れて行ってもらうことはできるだろう。
他人の資本をぶち込みまくって、他人のデザインに自身を委ねれば。
でも僕はバックパッカーとしてそこに行きたい。
それが僕の縛りゲーだ。

営業効率

難しく言えば、構造のモデル化、簡単に言えば、世の中の仕組みを知ることが全てだ。
仕組みを知るために必要な情報をとにかく集める。
情報がなければ勝つことはできない。
気合いよりも、労働時間よりも、知名度よりも、なによりも幅広い情報が行くべき道を指示してくれる。

情報は、効率よく取り入れるアンテナが重要だ。
情報を取り入れるにもコストがかかる。アンテナの効率と同じだ。

例えば、とにかく誰でもいいから人とつながって、
毎晩のように東京に出て酒を飲んで話込んでいたんじゃ、効率が悪くて話にならない。

それこそ、世の中の構造をおぼろげながらでもいいので把握して、
もっとも効率的に思える人物なりにターゲットをしぼり、
ピンポイントで情報を取り入れていく。
そして構造がすこし明らかになれば、またピンポイントに打っていく。
最短かつ最大効率の情報収集だ。
そういう意味で、僕は一般に言われる営業的な意味よりもさらに高次の収束をしたい。
根底には無駄嫌いがある。無駄は嫌いだ。本当に、無駄と思える事をするのは耐えられない。

助けたい人も育てたい人も恩返ししたい人も、たくさんいる。
効率だ。ノールール、既成概念を取っ払って、他人の物差しじゃなく、自分の物差しで、
自分のために最も効率がいいことだけをやる。
他人や周りの言うことに踊らされず、
常に自分だけを見つめてそれができるか。参入障壁はそこなんじゃないかと思う。

頭の整理 単一の規模の限界と分散システムの時代

頭の整理!

至極一般的な話、単一のやり方には最適な規模というものがある。そして最適な規模をオーバーして拡大させれば効率が犠牲になる。あるとき、ペイしなくなる。次に起きるのは、効率の良い小規模なものを大規模にまとめあげるシステムの進化だ。

生物の進化になぞらえれば、一時期、恐竜の時代、生物は体を巨大化させた。巨大化することが生存競争に有利になる。でも実際は巨大化することのデメリットが表面化しなかっただけだった。環境変化によって潜在的なデメリットが露呈してすぐ絶滅した。次に台頭したのは単一の個体が巨大な生き物ではなく「社会性」であった。それは単一の個体として最適な大きさをもちながら、それが別個体と連携して、擬似的に巨大な生物として維持されていく仕組みで、たとえば人間がそれにあたる。

例えばCPU、単一コアの微細化と高速化は限界が見えている。だからコアを複数持たせるとかGPGPUのように並列処理に特化したアーキテクチャの方向に進化している。例えば機械学習。単一の汎用の大規模な学習器ではなく、一つ一つは単純な判別をする学習器を組み合わせ、それを重み付けにのネットワークを構成することで全体として規模と性能を両立した学習器に仕立てる。

もちろん、この流れはビジネスや社会システムにも起きる。

もともと、強力な中央集権が抱える問題ゆえに、地方分権が考えられた。要するに、1人の王様がみんなから搾取しまくると、配下の能力のある人間から常にクーデターを企てられ、その繰り返しで国家として疲弊して、外敵に負ける。この構造的な問題に対して、能力のある人間にはそれなりに権力を分け与えて「ミニ王様」をやらせることで、自らのクーデターを企てられる確率を低くする。王様としては、頭と尻尾はくれてやるから、システム全体としての持続可能性を高めることができる。

じゃあビジネスの視点で考えると、小規模の集合体が集まっていく時代という考え方になるのだけれど、ではどのぐらいの小規模を束ねるのが一番良いかという話になる。たぶんそこがフロンティア。前のイジメのエントリに書いたけれど、スポットライトがあたらない価値というのは、本当に絶大だと思う。