愚行は、その最後に近づければ近づくほどに酷くなる。

山口の集落の殺人事件を又聞きして、都会も田舎も蟻地獄に感じる。
都会は日常と死が遠いし、田舎は日常と死が近い。都会は人と人が遠いし、田舎は人と人が近い。
今は中途半端な場所にいてズルくやっている自分も、いつかはどちらかに帰らないといけないかもしれない。
来たところに帰るんだろうなぁ。
蟻地獄から這い出たつもりでも、また一方の蟻地獄にハマるだけだもんなぁ。

田舎の苛めも学校の苛めもまったく同じものだ。大人だって苛めるし、会社同士も苛めあう。国の苛めも然り。

そういう人の愚行は、その最後に近づければ近づくほどに酷くなる。

外部・内部の抗争の果てに現状維持にしかエネルギーを割かなくなった、いわゆる腐った会社があったとして、だいたい、潰れそうになればなるほど、加速度的に腐り方は極まる。もちろん腐った部署でも一緒だ。腐った人でも一緒。腐ったものが緩やかに回復なんてのは、大概の場合一過性の現象であって、長期的に見れば必ず死に向かう。

国も会社も組織も人も、新しい命はその場ではなく、その場から分離した「卵」からしか生まれない。
卵は、腐った田舎に嫌気が刺して都会に出る若者や、腐った会社に嫌気が刺して独立する若者だ。
ところが、卵というのは、膨大な死に晒された中から運の良い1匹が新しい命として生まれるのみで、残りはほとんどが死ぬ。
つまり腐ったところに残ろうが卵になろうがほとんどが死ぬ。
そのまま老体で腐り果てるか、卵で食われるか、どちらか選べ。
そう聞かれたから僕は卵を選んだ気がするなぁ。

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