人は30代で再びトラウマと対峙する

と思う。というか、そう思わざるを得ない状況に最近やられてる。

というのも、若いときの無謀加減も強欲もいい具合に冷めてきて、経験もそこそこ溜まって、俯瞰できるようになってくるのが30代で、それまであらゆる欲に隠れて見えなかったもの、経験不足で気が付かなかったことが、見えるようになってくる。で、そこで見えるのはたぶん往々にして隠れていた自分自身で、しかも一番見たくない自分というか、幼少時代から思春期ぐらいまでの人格形成で経験したトラウマみたいなものだったりするんじゃないだろうか。漫画で言えば、30代の自分の目の前に立ってるのは子供の自分自身ってやつだ。過去も未来もない。お前は俺じゃない、いや、俺はお前だ、の言い合いだね。しびれるシーンだね。

自然状態での人の平均寿命は30才ぐらいだった気がするけど、死ぬ前の最後のアイデンティティを確立するタイミングというか、もしくは、永遠の決別のタイミングというか、いずれにしろその後に控える老化の前に、何らかの決着を付ける必要がある。自我の最後のひと固めだ。

いま32才の僕の目の前にいるのは、高校1年から大学1年までの4年間の自分だ。特にラストの2001年はキツかった。明らかに、今の自分自身はこの期間に形成された。多感な時期で楽しい事も悲しい事もあったけど、その中に、トラウマ化してる経験がある。その経験以外はすべて青春の甘酸っぱい思い出になっている。酒のツマミにぴったり。でも、トラウマ化している事は、自分自身の経験としてどうしても認められなくなって、いまでも昨日のことのように刺してくる。全く思い出じゃない。酒のツマミにならない。酔いも醒める。今この瞬間までつながって続いている。トラウマは時間で消えるもんじゃない。それが最近になって良くわかってきた。人生経験を積めば積むほど、残る課題はトラウマだけになって行くから。

自分の場合、放置しすぎた。たぶん、決着するにはヤバいコストを払うことになる予感がする。思春期なら耐えられたかもしれないけれど、もういい歳だ。13年分の喪失が待っているかもしれない。でも、このまま放置するのも、もう無理そうだ。積み上げたものが壊れるかもしれない。どちみち、そういう運命だったと思うしかない。自分にウソついていくより、いくぶんマシだと思う。レッツゴー俺。ここでもう一回青春ができるのは、幸か不幸か。チョー怖いけど、次に進むためには、やるよ。この夏に。まさに、「今から一緒に これから一緒に 殴りに行こうか」ですよ。ヤーヤーヤー! 32才 VS 19才。カチコミだこの野郎。

あ、もちろん、嫁子供がいるので死ぬことはないので大丈夫です。トラウマごときに殺されてたまるか。しばらく使い物にならなくなるかもしれんけど。ご心配なく。

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