ミジンコと人間は今でも共存してる

世の中の人は、例外なく、誰かに騙されてる。
騙されてるという言葉は煽り言葉なので、正確じゃない。
騙されているというのは不利益なニュアンスがあるけれど、必ずしも不利益が目的で騙しているわけではない。

いい言葉ないかなと考えていたけれど「豊かになるように誰かにデザインされている」というのがいいかも。これだと少しは不利益なニュアンスがなくなるかもしれない。

とにかく、自分の意図で生きているようでいて、その意図が誰かによってデザインされている。

いやべつに電波な話をしているわけじゃない。日常はデザインされている。

たとえば、ジャンクな肉が食いたいな~とおもって、ケンタッキーに行くとする。ここでジャンクな肉とケンタッキーのマッピングは積極的にあらゆる手法でケンタッキーが植え付けている。広告を見るとかCMを見るとかは露骨で誰もがその意図を感じられる。でもビジネスというのは無意識の中にマッピングを作り出すあらゆる手段が講じられている。たとえば、誰かの家にいったときにケンタッキーが出てくる経験をすると、それがケンタッキーとパーティのマッピングのひとつの材料になる。ケンタッキーはパーティセットを作らない選択肢も持っていたはずだ。それなのにパーティセットというセットを作った。パーティセットがある今からすれば「そんなのパーティに使えるから企画したんじゃん」で終わりなのだけれど、パーティセットという概念がなかったときにそれを作った。

ケンタッキーはかわいいもので、世の中にはもっともっと巨大なデザイン、設計が存在する。そして場合によっては搾取構造になっている。例えば、税金や法律。なぜあんなに法律は難しいのか。実際には六法全書を読まずになぜ生きられるのか。自分たちが乗っているプラットフォームであるはずなのに、誰もプラットフォームについて何もしらないし、知る必要がない。知ろうと思うには、知るコストに見合うだけの理由が必要だ。つまり知りたいと思うシーンがなるべくでないように設計されているからだ。

繰り返すけれど決して悪意によってデザインされているわけではない。無意識にかつ知らずに生きることができるのは、これまで苦しんできた代々の人間が考え抜いて作り上げたプラットフォームだからだ。搾取は平和にとって必要だから搾取されている。(という建前ではあるけれど本当は知らない)

でも、それでもやっぱり自分は第三者の意図から自由でありたい、と思う。

毎度毎度、進撃の巨人のたとえだけれど、理由はなくても壁の外に出たい、という話。

人間は社会性の生き物であって、個体単体ではなくて、個体同士の相互作用で生きるように全ての進化が起きている。だから個体である個人が乗るプラットフォームは個体の相互作用の基盤であり、いわば体組織の基本構造にあたる。そして1細胞が体全体を知ることができないように、そのプラットフォームの全容を理解している人は誰もいない。べつに日本の首脳であったって、アメリカの首脳であったって、全てを理解しているわけじゃない。もっと深く深い、人と人との相互作用の奥底に畳みこまれたものだから。

それでも、やっぱり、相互作用から抜け出して俯瞰してみたいと思ったりする。社会システムからの完全独立は、例えれば、多細胞生物から見た単細胞生物、人間から見たミジンコに相当する。今でもミジンコは人間と共存してるから、ワンチャンokかもしれない。

人間はミジンコを下等生物だと思い込む。僕だってミジンコやらゾウリムシを見て、あー小さいのに頑張るねー 指で触ったらつぶれちゃうのに、がんばるねー ぐらいしか思っていなかった。

でも最近は、ミジンコ側の立場になって考えれば、ミジンコは人間をひとつの人間として見ているのではなく、構成する一つ一つの細胞を見て、そして「個性もない単機能な細胞が
何兆個も集まっているが、あれは何なんだ、何してるんだ」と、不思議に思っているのかもしれないとか、思うようになってきた。

次にミジンコを見た時には、ぜひ、握手しようと思う (つぶさないように

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